山のあれこれ

山の楽しみのあれこれを紹介していきたいと思います。

北アルプス・黒部川奥の廊下より赤木沢遡行

2008-07-20 | 山行
 7/20 黒部川と薬師沢出合の谷間の薬師沢小屋の朝、4:00起床。久し振りの山小屋泊、幸い4人で一部屋。前日の睡眠不足の解消に爆睡のK田さんも起き出す。金曜の晩に東京を出発して朝4:30に有峰林道のゲートに着いた。そのまま座席に倒れて仮眠。ゲート開門6:00、30分ほどで折立の駐車場に到着した。

 7/19はピーカンの朝だった。登山モードに切り替えて7:20炎天下の出発だ。初めは樹林帯の急登、展望の開けた1870mの草原の台地に辿り着くと、はるかに残雪を貼り付けた立山~剣の遠望、深い緑、真上に薬師岳。太郎平小屋、薬師峠にテントを張り、遡行装備だけ持って薬師沢小屋に向かい15:15到着。何でも梅雨明けとか。薬師沢と黒部本流との出合の河原に車座になってビールを傾ける。沢音が響く。夕食を終えるとバタンキュー。

       


 小屋のバルコニーが吊り橋と大岩の上に張り出して作られている。支度をして集合写真を撮ってもらいハシゴを伝って河原に降りた。昨日よりも水量は減っている。小屋で聞くと例年並みとのこと。数日前は台風の影響による降雨時の黒部本流の通過を懸念していた。S尾Lは、主に左岸の水際に沿って歩き出すAM5:30、昨日と違い曇り空の出発だ。

写真は「ミニナイアガラが見えた。手前が赤木沢出合」
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「山で…」その1より  キジウチ(雉撃ち)

2008-07-18 | 山想
この変な言葉は、僕の周囲では割とポピュラー化している。僕が初めてこの隠語を知った頃は、そんなことではなくて、一言吐いては優越感に浸っていた。野原で猟師が雉を鉄砲で撃つ格好に似ているので、山屋さんの用足しに行くときの隠語になっていた。この言い方は、すごく楽しそうで心も浮き浮きする。女性の場合は、お花摘みで同様に暗くない。

四囲を薄暗い壁に囲まれ、鼻がひん曲がる糞壷に跨り、チリ紙を投げ捨て、済ますと慌てて飛び出していく。うっかり財布を落としそうになるのに確認の間もない。

照りつける太陽、一望に見渡せる視界、下腹部にヒンヤリ吹き付ける谷間の風、天下の北岳を睨みながらウッと力む、朝の登りの辛さに輪を掛けての先ほどからの下半身の呪縛から解き放たれた瞬間、ファーと爽快感が広がる。僕の腸は元来、便秘気味に加え、夜行だ、早立ちだ、で、日常ペースが崩れるとますます縁遠くなる。それが歩き始めて1時間ほどするとお呼びがかかることが多い。

皆を待たせて申し訳なく物陰へいそいそと。大木の陰、藪に分け入りチクチク、朝露をかぶりながら、枝を掴んでないと転がるゾ、あんまり崖下に行くと滑落するゾとか声がかかる。実際、ノートレースの吹きっさらしだと半身が隠れる穴を掘らないと急性霜焼けになる。

それから、キジウチ仁義として、後始末の問題、将来は持ち帰るべきだろう、が、今は穴を掘って埋めている、土や石や枯れ枝を掛ける、少なくともチリ紙を載せっぱなしにするようなことはしない。

北八ヶ岳黒百合平。中学1年の夏(1959.)、登山部の夏山合宿に初参加。どうしょうもなくなってテント場から駆け込んだ山小屋の裏手、苔むした足元を一息ついて見渡すと、あるわあるわ、累々とアレが散乱していた。一目散に駆け下りてきたのは、僕がこの言葉を初めて耳にした頃の山行の想い出のひとつ。

いつもの楽しい山行に必ず、つきまとう楽しい時間のこと。
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「山で…」その1より 夏のお花畑でのたわごと  焼石岳

2008-07-15 | 山想
お花畑で寝ころんで、白い雲を眺めたり、鼻先を躍る蝶を目で追ったり、頭の上から挨拶するキスゲに会釈したり… そういう時間を僕は未だ持てない。

時計はポケットに突っ込んだまま、雲一つない青空に積雲がモコモコと湧き上がって大きく被い始めても一向に気にしない、米を研ぐ手間のことさえ考えもしない、どうして僕には、そんな風に考える余裕が無いんだろう。こんなに素晴らしい景色の中にいるのに。

緑の草原が連なり、朝のスカッとした太陽が輝き出した。大きな箒に緑の絵の具をボッシャリ滴らせて、大様に書き殴ったような山並みが正面にある。僕達の向かう正面鞍部には、焼石岳山頂のどうにも、ここに頂きを示す何者かがなくてはならないように、茶色の突起が頭を見せている。

山頂直下の泉水沼とか、なにかあれもこれもと、少し恥ずかしがり屋の新婚の奥さんのご馳走のようで、出来すぎていて、注釈を付ける間もないような景色だ。

 (1971.8/1,2,3 焼石岳から夏油温泉 1日目、夜行列車を水沢で降りてバスで石淵ダム、昼過ぎに残雪とお花畑の銀明水についた。先に行く連中を見送り青いツェルトを張った。翌朝、焼石の山頂を踏んで金明水(ここには避難小屋)を経て夏油川に降りた。温泉の自炊部に泊。3日目は北上から東北本線(6時間)で帰京した夏の東北の山旅)

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「山で…」その1より  山里でのこと

2008-07-14 | 山想
 山に入るとき、山から下って来たとき、必ずといってよいほど、村や町のはずれの民家の軒先を通っていく。
 
 明け方、鶏が時を作る。まだ朝靄が谷間の家々を覆っている。まだ、シーンとして清々しい朝だ。早起きの犬にけたたましく吠えたてられる。それでも僕は知らんぷりしてスタスタと通り抜ける。ある集落では、庭先や畑に家族が出ていた。その前を通る。見知らぬ者をジーっと見る目、チラッと見る目、好奇心の目、背ける目、 仕事の手を止めての笑みには軽く会釈を返すが。大抵足早やに歩き去る。できるだけ姿を消したくて、す早く通り抜けたくて。

 山の中腹まで耕した段々畑がある。やっと、藪をかき分けて、そこに躍り出た僕。体中草の実やら何やらで、みっともない姿、汗だくで赤い顔をして息を弾ませている。畑のあぜ道から集落の一本道へ小走りで下る。村人の好奇心の目が注がれる。どこにいったんか、どこから来た?ひどい格好して? でも、朝の僕とは違う、その日の目的をやり終えた為からか、むしろ、誇らしげに足が弾む。

そんなとき誰かに、声を掛けられたりしたらニコニコ顔で靴の中の痛い足のことや、バスの時刻のことなんか忘れて、話しこんでしまうに違いない。
 夕暮れの朱色の干し柿が金色に輝いている軒先に、ニコっと挨拶しながら通り過ぎる。
(1971.5.23記)
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「山で…」その1より 登山靴

2008-07-13 | 山想
四月三日、それは僕の山靴の2周年記念日なんだ。ボロボロになった布製のキャラバンシューズを玄関の奥の暗がりに突っ込んで、今まで、こんなシロモノを買い込むなんて信じられない気持ちで、革の臭いがプーンとする奴を大枚一万円也で新大久保のICIから抱えて帰ってきた。

翌日、早速厚手の靴下を履いて無理に押し込んだ素足は赤く腫れ上がり、奥多摩は浅間尾根のとっつきでさえ、思うように足が前にでなかった。春の日の浅間嶺で、靴を脱いで昼寝を決め込んで、再び、歩き始めたんだっけ。すると、どういう訳か調子が出てきて、とうとう鞘口峠から更に湖に下り、あのドラム缶橋を、快い音をさせながらトントントンと渡ってきたのだった。それからというもの、ベロの無いICIの山靴が僕の山のお供をしている。

重荷を背負う為のものらしく、足首は浅いが革は硬く、底はまだまだ分厚い。山屋さんだと2年もするとビブラム底の張り替え時といいます。でも、僕の歩きっぷりでは、まだまだあと2年は充分持ちそうだ。

ずいぶんと踵とか指の付け根とか痛めもした。その点では人見知りする悪い靴なのかも知れない。でも、こいつに足を突っ込むと、なんて言うか、安堵にも似た安らぎの気持ちが伝わってくる。だから、時折、脂をくれてやる気になるんだ。
(1971.4.3記)初代山靴。その後、双葉、ゴロー製のいずれも皮革製登山靴を愛用。

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