市ヶ谷の自衛隊の屋上の手前に大きなクレーンが見えてきたのが6月下旬、あれれと思っていたら、ぐいぐいと伸びてきた。大日本印刷の市ヶ谷工場だ。何でも地上25階地下4階の高層ビルの工場ができるらしい。お陰で防衛庁の屋上ヘリポートの一部が見えなくなりそうだ。
6月30日
8月21日タワークレーン2基でぐんぐん
8月29日夕刻には灯りをつけて
市ヶ谷加賀町の谷間には昔から大きな印刷工場があった。1950年代に近くの中学校に通っていたのでインクの臭いや騒音や紙のロールを運ぶフォークリフトやトラックは見慣れた風景だった。近所にも凸版印刷や大小の印刷工場や下請けの製本工場が軒をつらね、文京区にかけて印刷業の町だった。電子化の波がやってくるまでの間。
6月30日
8月21日タワークレーン2基でぐんぐん
8月29日夕刻には灯りをつけて
市ヶ谷加賀町の谷間には昔から大きな印刷工場があった。1950年代に近くの中学校に通っていたのでインクの臭いや騒音や紙のロールを運ぶフォークリフトやトラックは見慣れた風景だった。近所にも凸版印刷や大小の印刷工場や下請けの製本工場が軒をつらね、文京区にかけて印刷業の町だった。電子化の波がやってくるまでの間。