山のあれこれ

山の楽しみのあれこれを紹介していきたいと思います。

回想 山からいただいた一文(1)

2013-10-20 | 山想
回想   山からいただいた一文(1)

素晴らしい山行を、やり遂げて来た日は
誰でも、きっとその一部始終を、他人(ヒト)に聞いてもらいたいものだ。
だから、そんなとき、じっくりと腰を落ち着けて聞いてやることは、
彼にとっての、一番の贈り物にちがいない。
                      S.50.12.19 hiro



おもいでの質量というものは
歩いた距離にばかり比例する
ものではないということを、
この山地の気ままな山歩きが
教えてくれたからだ。
歩いた時間よりも休んだ時間
の方が長かったというような
日が私の山日記には、いくら
でもある。

シラビソやコメツガやトウヒ
を主体とするこの薄暗い針葉
樹林は重く湿った空気をよど
ませながら、いつも分厚い沈
黙に包まれている。
沈黙といっても音の絶えた静
けさとは違う。
死んだケモノ達のささやきと
か森の樹々のつぶやきとか、
眼には見えない何かの生き物
の跫(アシオト)だとか、そういう不
思議な物音がぎっしり詰まっ
ているような密度の濃い静け
さである。
  「北八ツ彷徨」山口耀久 S.51 第9刷発行 アルプ選書





      B L U E
Cobalt blue Cerulean blue Ultra marine
Prussian blue Indigo Blue verditer

これらは “青色”の絵の具の名前
ただ、“青の空”と書いてしまって、一体あの日の頂きでの感動が分かっていただけたのだろうか。
足元の黒い色彩(夜陰)以外には、もう頭上にあの青い空しか残っていなかった。
自分自身の脳裏の満足だけで終わってしまって…
少しばかりでも貴方の想像力へのお手伝いとなれば、そんな、時間の多いことよ。
次回からは、これらのどれかの言葉を使わせていただこうと思うのだが。
 抜けるような碧空、身体が染まるような青、見上げる雪線越しに、岩稜に、
黒い森の梢に空いた窓に
                     S.52.10 hiro





      山に行くのに一体、何が必要なのかな

お金(経済)と ヒマ(時間)と 身体(健康) それと 心(情熱)
ずいぶんとキザだけれど、もっともっと煎じつめると
                   心(情熱なのでは)

コイツを無くしてしまったら…、
    あとの三つのどれかが欠けても、何とかなるだろう
  でも、山に行きたいって、心(情熱)が欠けちまったら 一体?


大事な大事な心を抱えて山にまいりましょう。
大事に大事に、温めた心を冷やさぬように注意して

薄汚れた、はきつぶした山靴も要いらない、汗と汚れの染みついたアタックザックも要らない、
もちろん、ほどよく黒光りしたピッケルとかアイゼンも要らない。

ただ、持っていくのは、長年使い慣れた、そして、角のすっかり丸くなってしまった、
手に身体にしっくりと合ってしまった、心だけ…。

いつかそんな、山旅をやってみたい。
                         S.48.7.26  hiro





久しぶりの秋の雲

台風が東方海上に去った、全く久しぶりの大空
工場の屋上に独り “大の字”に横たわる
視界一面に塗りつぶされた青色の絵の具
その左手から右に、白く散っていくウロコ雲
大したスピードで… 
僕との一万数千メートルの隔たりを 一切無視
紺碧の大波が岩礁にぶち当たり
砕け散る白い波の花が“僕の海”に拡散する
天が… 海が静止し  僕は波間を漂う
その時、遠い爆音   遙かな機影
銀色のジュラルミンの小さな影
ああ
まさに大海に翻弄される小魚  なんという深さだろう…
いや、 この隔たりは  巻積雲、超高々度の氷りの集団
初秋の午後の陽差しに輝く  輝き至るところの白の輝き
久しぶりの大空です  久しぶりの秋の雲です
                        S54..hiro
  「山を楽しむ会 二十周年記念詩集 はたち」1979.12発行
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回想 皇海山(2)

2013-10-10 | 山想
2000年10月初めに松木川からモミジ尾根を経て皇海山を越えた。今回は紅葉の盛りを求めて同じコースを辿る。好きな山にはコース、季節を変えて何度も訪れることがある。林道は長いが2時間の歩きで到達できる不動沢コースも含めると、5回目の登頂になる。

2010年10月22日21時、池袋を出発して日光清滝IC経由、日足トンネルを抜けてかつての銅山の街足尾に入る。銀山平の かじか荘駐車場隅にテントを張り終え仮眠。
翌朝、車を奥の駐車場に移動して迎えのタクシーに一同乗り込み足尾ダムのゲートまで30分ほど(\5000)。渡良瀬川、仁田元川と久蔵川が合流し三川ダムともいう、かつて見渡す限り荒れ果て禿げ山が連なっていたのに植林が進み緑の山に回復しつつある。



快晴の下、メンバー5人は身支度を整え林道歩きから始まる。松木村跡、林道跡と歩き対岸は中倉尾根の岩壁を眺めながら渡良瀬川の河原歩きだ。右岸に巨大な岩門のようなウメコバ沢を過ぎてから足元を沢仕様に変える。水深は膝下程度で左右に渡り返すことになる。6号堰堤をハシゴで越えると三沢で松木川に名前が変わる。






川幅が狭まり山腹に紅葉が目立ち始め秋山らしくなり、谷が南西に曲がると青空を背に皇海山とご対面。左岸からの美しい滑滝はカマノ沢、まもなくこの谷唯一の淵を左岸の高巻きで越え河原(小屋跡)を過ぎるとニゴリ沢が入る。ここを50分ほど歩いて滝の手前にモミジ尾根取付(赤と黄色のブリキ板)だ。







初っ端から急登で県境尾根まで300mの標高差だが辛いのは200mほど、午後の陽差しに広葉樹の黄葉、紅葉と美しく緩傾斜に笹が拡がり絵画のようだ。国境平は笹と落葉松の広めの尾根。両側を落葉松林に挟まれた笹原にテントとツェルトを張った。群馬側に往復20分を息を切らせて水汲みから戻ると火付け名人により紫煙が立ち上っていた。焚き火を囲んで宴会と夕食に突入。





かじか荘7:15=タクシー=足尾ダムゲート7:40…ウメコバ沢9:50…三沢堰堤10:20…淵高巻11:35…ニゴリ沢出合12:02…滝手前モミジ尾根取付12:45,13:20…国境平14:50

10/24 暖かい朝で寝過ぎて起床、しかも美しい朝焼け。急いで食事済ませテント撤収し出発。笹原をかき分け県境尾根を南西にゆるゆると登っていく。ダケカンバの林の向こうに皇海の鈍牛の背が大きい。






皇海の鈍牛の背を目指して黒木の森を急登、シャクナゲが混じり始めると頭上が切れて北側の尾根に乗った、展望が拡がり標高2000mを越えた。皇海山(2143m)着、軽装のハイカー達が談笑しており重装備の我々はやや場違いか。百名山だし不動沢コースだとナント2時間で登頂できるのだから。


曇り空だし、まだ先が長いので早々に下山。不動沢コルより鋸山を目指す。崩れかけたルンゼ状を登り切ると鋸山(1998m)だった。皇海山を背にしばし関東平野の展望に見とれる。








六林班峠へは狭い笹尾根を南下する。1900m付近より伐採尾根が広くなり笹藪も深く
不明瞭となり、慎重に下りつつ昼過ぎに峠に到着した。
メンバーの表情に思わず笑みが浮かぶが庚申山荘を経て銀山平までの峠道はまだ4時間もある。









 
庚申山荘からは薄明に追われよく手入れされた歩道を駆け下り、一の鳥居より林道を急ぎ、銀山平の終点近くで幸いに我慢していてくれていた雨が降り出した。


国境平7:20…皇海山9:15,25…不動沢コル10:15,25…鋸山11:10,30…六林班峠12:30,45…庚申山荘15:15,50…一の鳥居16:35…銀山平駐車場17:30=かじか荘入浴=往路帰京

季節、コース、メンバーを変えて皇海山山頂を5回も踏んでしまった。


                       
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回想 皇海山(1)

2013-10-08 | 山想
回想 会報[山の足音1983年別冊]より
皇海山(すかいさん)2144m
     日光ノ 手前ニ未ダニ 野生動物ニ 出会エル山ニテ

『日本百名山』 深田久弥著  No,38[皇海山]のなかで 木暮理太郎、藤島敏雄が大正8年(1919)に登山記を記し この山を紹介している。
………「皇海山とは、一体どこにある山か名を聞くのも初めてであるという人がおそらく多いであろう。それもその筈である。この山などは 今更、日本アルプスでもあるまいというつむじ曲がりの連中が2000mを越えた面白そうな山はないかと蚤取り眼で地図を捜して、ここにも一つあったと漸く探し出されるほど世に聞こえない山なのである。」と書かれているが、この言葉は40年後の今日でも、まだ通用する。皇海山は、今なお静寂のなかにある。……

この『日本百名山』の初版が1965年、僕達は昨年(1982年)の11月と年末に訪れた。そして…納得した。この本を読むとその山の由来や庚申山、庚申講との関わりが伺える。位置は関東北部、日光の裏側、足尾の町の背後、奥白根山から南下する稜線上にある。近くに際だった景勝地がないことも、半世紀以上、過ぎた今でも原始性 を保って来られた理由のひとつかもしれない。

 原始性 即ち、野生動物が安心して生活できるという地域。山仕事で生計をたてる必要の少なくなった現代では、さらにその傾向は強くなっていくだろう。しかし、その現代は世と人の心を変に歪曲させているから恐ろしい。安請け負いの自然復帰ブームが逆に彼ら野生動物達に値札を付けさせている。密猟である、降雪こそ少ないものの-10℃の夜中に着の身着のままライフルを抱いて焚き火の周りに寝ころび夜を明かす。マタギの子孫かと思われる屈強なおそらく地元の狩人達だ。獲物を買い取るシステムが黙認されている以上、これで生活する人達がいて不思議はない。「特別保護区」の看板の元でもとても、野生動物が安心して住める地域では無さそうだ。 

■ 1982.11.21—22 O川 K藤 [庚申山~皇海山~六林班峠]
11月後半の初めて入山の朝、小雨交じりの庚申山自然歩道にて僕達は甲高いキョ~ン、キョ~ン、の声に迎えられた。この山をお正月に登ろうとの誘いをO川から受けたのは一昨年のこと。このときはボツで、結局、2年越しの計画になった。私には未知の山域だ。(栃木県民で釣師のO川は鋸~庚申山付近まで3回ほど)なので、正月の偵察行として11月末に入山した。

21日朝、丸石沢橋にO川の4WDを駐車させ、曇り空のなか出発(7:00)した。庚申山荘(10:20)、山荘背後の信者が修行した大岩壁を鎖や梯子に沿っての急登。トラバース道など凍結すると厄介だと話しながら上に出た。やっと頭上が晴れてくる。さらに15分ほどで樹林の中の庚申山山頂、少し先の展望台(11:30—12:00)に着いた。主稜上にある鋸山を経て皇海山を往復して六林班峠から庚申山荘に戻る計画だ。ポイントは庚申~鋸の状態と幕営適地の確認、六林班峠道の積雪期の予想などだった。

 少々、涼しいが立食とする。目の前の皇海山はなかなか全貌を現さない。西山腹を真っ白に樹氷で染め上げうずくまっている様子はまるで 鈍牛だ。ここまではハイカーの領域だ。彼らの視線を背中に感じながら皇海山へ向かって出発する。山慣れた二人連れパーティと相前後して行く。鋸の歯先までは樹林とクマザサ帯を交互に交えた割と広い尾根だ。小平地も幾つかある。まだ昼過ぎなので鋸を越えることにする。
ブナの林立し幹の所どころ地面から50—60cm位の片側が白く樹皮が剥がれている。シカかサルの仕業か意見が対立。そのあいだにも ピー、ロロルル(と聞こえる)の声が谷から聞こえてくる。鋸の歯は大小10峰あって信仰の名残か小さなピークにも名前が付けられている。

 やはり、鋸歯は昨夏の台風で荒れたままになっていた。8峰(蔵王)は南側への崩壊、9峰手前は表土が削げ落ちて岩盤が露出気味、9峰と10峰の鞍部は両側切れ落ちて鎖が下がっているが左手の谷底に振られる形になるとか、10峰尾根左側が崩壊して針金が宙ぶらりになっていて刃先をハイマツを掴んで通過するとか、修験者はさぞやキモを冷やすに違いない。なんだかんだと寒風とガスのなか鋸山頂(14:30)に着く。早々にビバーク地点を探しながら峠側に進む。翌日の行動を考えて10分ほど降りた小ピークの根元にツェルトを張った。

 夜半、風の音と明らかに違う物音、すぐ近くで生き物の気配だった。翌朝、尾根を越えるケモノ道が近くにあった。

■ 1982.12.30—31 O川 K谷 K藤 E子  [六林班峠道より皇海山]
 積雪は多くて足首が潜る程度、全く水が得られないことも予想して各自2Lの水を担ぎ、庚申山荘より六林班峠道に入る。庚申川と庚申尾根との間の1500m~1600mのコンターを延々と辿り1800mの峠に到達する。今も営林署の作業道であり彼らの受持区域を示す班名が峠の名前になっている。

山荘から30分ほどは犬と多分山荘の人の足跡。その先をいくトレースは彼らのものだけになった。カモシカかシカか?サルやウサギかイタチかネズミか小動物の真新しい足跡が峠道の新雪を往来している。立ち止まって一息ついたり辺りを見回したり、急に引き返したり、急に消えたと思ったら迂回して戻ったり、泥浴び場があったり、僕達は確かに彼らの自然圏に入ったのだ。雪の消えた枝尾根の鼻先を回り込む辺りはケモノ道がやたらに交差。まさにケモノ達の銀座四丁目スクランブル交差点だ。

いつ、その角で…!?『あ!、あそこ!』O川の声の先に二つの白い尻の焦げ茶色の獣が躍動して、右上の山腹から左下のブナの点在する笹原に今まさに駆け下っていった。二頭のニホンシカだ、立派な角のある奴だった。偵察山行のとき声だけで姿を見損なった僕はしっかりと頭に白い尻を焼き付けた。

やがて小径は大小10本ほどの谷を横切る。積雪の多い場合、気になっていた辺りだ。幸い雪は少ないが、幾つかが巻き道から流水への降り口付近が凍結していて緊張させられる場面もあった。峠の最後の谷の手前で大崩壊を横切るところは、たぶん昨夏の台風によるものと思われる。

もう、ワンピッチになった頃、彼らの足跡のなかに第三者の足跡が登場した。それはビブラム底(登山者)ともゴム長(小屋番)とも違う、ゴム底で丸い鋲らしきのついた大きさは22—24cmほど、割と小柄の体格の、たぶん男だ。僕達はシャーロックホームズのように想像を巡らす。この頃からシカの足跡は少なく古くなっていく。そのとき左下の谷側のブナ林からけたたましい犬の吠え声、猟犬だ!狩人だ。峠の下にはさらに四人の別の足跡が立ち止まっている。中には平靴もある。

 六林班峠(13:45)は静かだ。侵入者達は峠の向こうから来たようだ。長居はよそう、一応予定地点まで歩を進めなければならない。このあたりで積雪は深くてヒザ位。先月、赤布を付けながら降りてきた主稜へ登って行く。1800m付近は尾根が広くて迷いやすい。倒木に古い黄色と赤色のプレートが打ち付けてある。P1835mの登りにかかる辺りにテントを設営(14:30)した。

樹林の間に足尾の街の灯、-8℃、月食、無風。夕方頃、5—6人の狩人が上がってきた。ライフル以外は手ぶらで犬は連れていない。先ほどの足跡の主とは違うグループのようだ。編み上げ靴に、釣用の鋲打地下足袋が二人、革ジャンパー、つなぎの上下といった程度の服装だ。その晩、彼らは我々のすぐ上で焚き火をして夜明かししたようだ。

12月31日 3:30起床、吹雪いている。食事を済ませテント撤収、デポしてサブザックで(6:30)皇海山へ出発。
鋸山(7:30)着、手前の先月のビバーク地点でアイゼン付ける。露岩がむき出しになる個所あり、無事通過。そして100m程降りるとて鞍部、ここは木立のなかで溝状に雪が詰まっていた。先月はドロンコ滑り台で一部針金あり。小ピークを過ぎると、いよいよ皇海への登りになる。鞍部には「特別自然保護地区」の黄色い看板が白々しい。先月、別パーティはここでビバークしていた。

 年末の新雪の樹林を楽しみつつ軽いラッセルで登る。天候はまだ風が強いが頭上が明るくなってきた。岩記号のところまでくれば、着いたも同然で一登りで急登はなくなり樹林のなかを右手に回り込み気味にラッセルすると、ふいに傾いた巨大な剣が、皇海山山頂(2143m)に着いた(9:15--30)。鋸の歯が白黒の不気味なコントラスト。雲の動きが早い、長居は禁物だ。今日は大晦日だし足尾温泉泊まりだ。

 先ほどの鞍部(10:00)で、今朝、鋸を越えてきたという二人連れに会う。やはり相当厳しかったようで、あれを戻るのかとため息をついていた。鋸山(10:40)、幕営地点(11:15)、早々に六林班峠(11:55)着。ここで、昨夜の狩人達に会う、なんとニホンシカの頭部を担いでいた…。僕達は憎しみと興味半分で得意げな連中と言葉を交わす。

 僕達の心は湿りがち、素晴らしい山頂を踏んできたのに、どうも後味が悪い。再び長い長いコンターの峠道を下り始める。しばらく歩いて山の鼻にさしかかる、小さな谷を横切る。そのとき、背後に『ドドド!』同時にO川の叫び声!振り返った3人の視界に三頭の巨大なニホンシカが、まるでスローモーションのように駆け下っているところだった。右上方の山腹から左下の谷側へ斜めに真っ逆様に。たった今通過した数10m先の山道を横切って突っ走っていった。少し小柄な一頭を間に4~500kgはありそうな奴らが、数分前だったら確実に跳ね飛ばされていたところだ。三つの躍動する白い尻が目に焼き付く。

 すっかり心は晴れ上がってしまった。ナントナントここは、再び自然圏なんだ。まもなく、今度はトツプを歩いていた僕が声を上げる。次の鼻先を見渡せる道で足を止める。すぐ左手目前の山腹20mほどを、これまた優美なスローモーションで、リズミカルな跳躍を交えて三頭のニホンシカが横切って行く。雪の木立のなかを焦げ茶色の立派な角の白い尻の後ろ姿が駆け下っていった。美しかった。

 春のような陽差しのなか、岳樺の白い木立、一面のクマザサの斜面。トップの僕は何かの気配と物音に立ち止まった。『今度は何カナ』と全員で覗き込む。眼下の木立に何かいる!動いた!思わず叫ぶ。ザワザワと笹藪が鳴り木立が大きく揺れ動き、黒い姿が幾つも飛び降りる。猿だ!ワイワイ騒いで(騒いだのは僕達)いると、20~30頭は見える。ワッショワッショと(猿が)、蜘蛛の子(猿)を散らすように慌てて逃げて行く。でも、全部が一目散に飛び降りるのではなく、何匹かは木陰からこちらを伺っている奴もいておかしい。

 丸石沢橋(16:30)着、汚れた姿でO川の4WDに乗り込む、そして足尾温泉へ。銀山平には宿一軒と上に国民宿舎があった。閉山した足尾鉱山の坑道から出た鉱泉を引き湯して加熱している。
 素晴らしい足尾の山々と自然と温泉と賑やかな仲間、それによく冷えたビール。1982年を締めくくる大晦日にこれ以上の催しはなかった。




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回想 雪上天幕生活

2013-10-06 | 山想
回想 会報[山の足音1994-1号]より
「雪上天幕生活」 
    雪の上にテントを張って、その中で快適に暮らすには…
 あの杉林の中にねぐらがある。今夜の宿だ、暗い杉林の中に場違いのように僕たちの青い冬天が待っていた。

まず、ざっとまわりを見渡す。何か変わったことはないかな?それから入口の吹き流し(冬用天幕の場合、円筒状に生地が付けられていて入口の紐を緩めてその穴から潜り込む)の紐を解き雪が入らないように細心の注意を払い入るわけだ。アイゼンは外してあるがスパッツを外し、靴ひもを解き身体に付着している雪をすべて払い落とす、これにはタワシが便利(目印用に色付きの50cm位の紐を輪にして付けておく)で、後ろの人が彼の背中や尻やザックに雪が付着していないか確認する。

 中に入ったら見渡して結び紐、ベンチレータ(換気孔)、それからシートのめくれ等に異常がないか見てザックを受け取る。外の者はザックの雪をタワシでこすり落とし天幕内に入れる。外回りとしてはテントを固定し直し、張綱、風避けブロック、飲料水用のキレイな雪を大ビニル袋に、スコップで玄関作り、それからコンロへの燃料補給と点火。各自分担して積極的に素早く行う。皆が早く暖かい天幕のなかに入れるように。

 天幕内では狭いスペースでの共同生活、かろうじてプライベートの確保。共同生活を優先しつつ個人の始末も素早く行う。個人用銀マットを拡げ座り場所を確保したら、炊事場の確保だ。床の凸凹を整地して切板と新聞紙を敷きコンロを受け取る。火の付いたコンロが天幕に入ったら全員で緊張、倒れたら大事じゃ済まない。

次に水作りだ、鍋に種水を少々、温まったら雪入りビニルから専用カップで雪を鍋に取り効率よく融かす。かき回すと早い。コンロに鍋が乗ったらメンバーは細心の注意だ、鍋押さえ、不安定な鍋に接触したら一大事になる。声掛けで注意喚起しよう。出来た炊事用の水はポリタンや空きコッヘルに移して天幕の外へ、このとき床に水こぼれのないようにロートや受け皿や新聞紙で濡れ防止を。コッヘルで飲用の湯を沸かそう、皆の冷え切った身体には熱いコーヒーや紅茶が一番だ。おっと湯気の立つコッヘルには蓋を…。天幕内の水蒸気は最小限に。

 個人装備のこと。防水処理してあるシュラフはザックに入れたまま隅に。懐中電灯、マイカップとブキ、トレペとか小物は小物袋に移してプライベート・スペースに。天幕内での余計な挙動は極力控える、一度腰を下ろしたら化石になる。外で濡れた手袋、衣類の乾燥(着干しといって中間着の間に挟んで干すこともある)、スパッツなどは外に出しておくと凍り付くので天幕内の入口付近に投げておく。

靴は一番大事な個人装備、翌朝凍った靴に足を入れたくないので、靴ひもは外、大ビニル袋に靴を入れ密閉して温度の上がらない天幕の隅へ。こうしておけば天幕の内外からの濡れ防止できる。もちろん下界では革靴にたっぷり油脂を含ませ山行直前には防水処理をしておく。すでに濡れてしまっている靴は寝るときにシュラフ内に入れて体温で乾かすこともある。

 さて、楽しい食事が終わって腹も心も満ち足りたら、足を伸ばして幸せの余韻に浸ろう、そしてあとは寝るばかり。でもここで天幕の外を見回るのを忘れないこと。張綱、ブロックそれから気温、風向き、空模様。夜間の降雪でピッケル、スコップ、ワカン、アイゼンが埋まらないように揃えて立てて置く。コンロに燃料補給、翌朝の炊事道具と予定を頭に整理して装備と行動チェックをしておこう。

 最後に吹き流しを巻き締め(夜中のキジ打ちに手探りでも解き易いように)、スパッツとか靴を整理して入口付近に寝てくれる奴に大感謝してシュラフに潜り込む。シュラフカバーは保温と上と下からの濡れの防止に効果。懐中電灯をシュラフ内におき枕を当てる、こいつの選び方で安眠の仕方が違う。

 やがて、今日一番働いてくれたあいつの寝息がひびいてくる。 S50.2.13

これは1975頃、40年近くも昔の文章です。冬用のミードテントはビニロン製の重い生地、コンロはホェーブスというオーストリア製で燃料はホワイトガソリン、点火はプレヒートが必要で危険なのでテントの外で行う、燃料補給も同様でテントに帰着時、起床後の新人の仕事だ。だから入口付近が新人の居場所になる。テントが軽いドームになり、点火の簡単なガスコンロ、シュラフもマットもスパッツも靴も全てが変わった。
変わっていない持ち物は、ただ一つ、山を思う心だけ…。
 
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藤の花

2010-05-24 | 山想
先週、新緑の奥多摩を歩いてきた。緑の森のあちこちにうす紫色に固まって咲いていた。何の大木だか、一年中、大家さんに巻き付いているくせに、華やかな新緑の今、彼よりも、ずっと際だっているではないか。

軒を取られた大家さん…。花言葉は、恋いに酔う、決して離れない、佳客とか
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