山のあれこれ

山の楽しみのあれこれを紹介していきたいと思います。

六ツ石山 ハンノ木尾根からタル沢尾根

2014-10-28 | 山行
2014年10月28日 久し振りに平日の紅葉巡りにタワ尾根行きを計画したらネットの電車運行情報間違いで急遽、六ッ石山に変更した。相方に詫びを入れ青梅で合流してから行き先を検討、奥多摩では鴨沢行きに間に合う時間だった。

ハンノ木尾根で六ツ石山に行くことになり、境橋で下車した。右手の坂道を上がり二人の記憶をほどきながら集落の手前から左手に登り廃屋数軒を見送り登り始めた。

そのとき髭のお爺さんが降りてきた、挨拶して通り過ぎて二人で顔を見合わせた。あのヒゲ爺さんだ、この先のフェンスの畑の主で一番奥の農家に犬と住んでいた、下山してくるとその犬に吠えられたり付いて来られたりする、僕らのうちでは知られた話しだ。空の背負子姿から町に買い出しだろうか、こざっぱりしてお元気そうだった。

壊れかけたフェンスの前を左折して踏み跡を藪を掻き分けて登り始める。犬の吠え声の方角に作業小屋の青い屋根が見えた。ワンちゃんも元気らしい、吠え声が近づかないので、つながれて今日はお留守番とみた。



銀色のススキ原を掻き分け左手の植林の際を登る。イソツネ山のプレートがあったので高みを捜したが三角点は見つからず、さらに高みを詰めると山道が植林に続いていた。山の神にお参りしてまもなく左手の植林が切れて明るく色付き始めた自然林が近づいてきた。

尾根に上がると大きな電波反射板があり湖が見下ろせた、尾根道は紅葉の落葉樹林を切り開いた防火帯を辿っていく。気分のよい紅葉の天蓋の下で早めのランチをとる。



平日の六ツ石山山頂には人っ気がない。写真を撮って鷹ノ巣山に向かって石尾根縦走路を辿る。カラマツも黄金色に色とりどりに染まっていた。



鷹巣山の三角の手前のなだらかな高みを将門馬場という。枝に黄色いテープが巻かれ古いプレートには山名と標高(1455m)が書かれていた。



ここより北東にタル沢尾根を下る、割と顕著な尾根で踏み跡は無いが古いテープとか赤いプラ杭を目印に辿っていく。30分ほど降りると右手よりモノレールが古いフェンスの向こうに現れた。途中、作業員の居る構築物があったり、しばらく並行してレールが続く。

左隣の尾根がカラ沢尾根で次第に大きくなっていく。800mを過ぎると露岩混じりの細い尾根筋を辿るようになり、向かいの対岸の石灰岩の採掘場跡が大きくなり道路や東日原の家並みが見下ろせる。右側斜面が大きく崩壊して倒木が重なっていた。急な尾根筋を辿ると明瞭な巻き道に出会った、左手にいくと古い石垣やロープがありカラ沢に下っていた。元(630m付近)に戻ると崩壊斜面下部の植林帯に作業道があった、薄暗い植林を右手(東)に回り込みながら下ると日原川右岸道に降りたった。



吊り橋(日原橋)を渡り100mほど上の東日原BS目指して最後の一登りだ。平日なので、お目当ての店先はいずれも閉められており下山祝いは奥多摩駅までお預けのようだ。

奥多摩8:40=境橋8:50…廃屋数軒…畑フェンス左折9:50…ススキ原…イソツネ山(848m)10:27…(ハンノ木尾根) …反射板11:18…休憩11:40,12:05…六ッ石山(1478m)12:45…将門馬場(1455m)13:30…(タル沢尾根下降)…モノレール駅作業場14:05,15…カラ沢尾根巻道(630m)15:頃…タル沢尾根入口15:38…日原橋15:40…東日原BS15:57,16:25=奥多摩17:

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日の出山・東雲山荘に集う

2014-10-18 | 山行
今年も日の出山の町営東雲(しののめ)山荘を貸し切り秋の奥多摩天空の一夜を楽しみました。学生時代の仲間9人の嬉しい顔が集まりました。

18日午後15時11分山荘着、遅れて到着予定の一名を除いて8人が揃ったところで管理人さんより、いつものように挨拶と利用の説明。今年から株式会社になりサービス向上に伴い利用料金が素泊まり2000円から3000円に値上げされたとのこと。
(日の出町サービス総合センター株式会社)アンケート用紙には、築60年の文化材的な東雲山荘の維持を切望した。自販機を置かない、お酒を売らないこと、アルミサッシにしないこと。何も手を加えずに維持するのは難しいとは思いますが、クラッシックな波打ち窓ガラスとかこのままに現状維持することに価値があると思います。





ストーブに火が入り鍋を載せ、担ぎ上げた「セブンイレブンのおでん」種が煮え始める。待ちきれずに賑やかに杯を酌み交わし宴が始まった。
 
翌朝は一番のケーブルで下山する二名を引き留めて夢見平を彷徨う一名を除いて集合写真。オレンジ色の朝日が山荘を包んでいる。さっぱりと素うどん朝食を済ませて次のイベントの開始。

何やら舞台裏が騒々しくなって師匠の登場。茶の和服に袴、扇子を差してる、日焼けしたあの風貌で。彼を中心に再び、集合写真だ。山荘裏の布団部屋をお借りして師匠が担ぎ上げたお点前セットを並べ急拵えだが、本格的な茶室に我々は招かれた。

話には聞いていたが彼は学生時代から30年以上も茶道を趣味とされていた。表千家とかで、茶道の深い世界など、何も知らないだろう我々にお茶を体験させてくれるという有り難いイベントだ。



結界といって太い孟宗竹を2本角に置き、甘~い和菓子を頂いて、まず薄茶から、本当は濃茶が先なのだとか。何やら厚手のどんぶりみたいな茶碗と黒い浅い茶碗を取り出した、お値段を聞いてびっくり。




馬鹿話しをしていた彼が一瞬静まり流れるような所作、その一つ一つに意味と形があるのだという。有り難いお茶の味はとろっと苦くじわっと甘く感じた。かれこれ1時間近くも座っていたことになる。一級のお茶からお菓子に茶釜と道具一式を担いできて我々に手ほどきしてくれたことに改めて感謝感激。朝の奥多摩の空気がさらに爽やかに感じられた。

9:30ツルツル組の三名は、三ッ沢の温泉を目指して出発。二名は大荷物の師匠を手助けしてケーブルで往路を御獄に戻るという。私は、山歩きに戻り日ノ出山9:35、高峰山から築瀬尾根を林道経由で吉野街道に降りて、小沢酒造の脇を沢井駅12:00へ。青空に陽差しは強いが風は涼しく爽やかな秋の半日を過ごした。


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通販生活誌

2014-10-12 | 高齢者介護・医療
カタログ雑誌かと思っていたら、結構読み応えのある読み物も出ていました。たまたま、夏に介護関連の取材を受けて記事が載ったのですが、憲法九条とか原発0とか、骨太の記事に「目からウロコ」でした。

発売は11月15日の2014秋冬号 No,252  \180。

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あの日の朝日連峰・祝瓶山

2014-10-10 | 山行
もう40年近くなる山の友人から画像付きのメールが届いた。なんでも私が山でスケッチした絵はがきをその友人宛に郵送したものらしい。友人はスケッチが気に入ってしばらくの間は額に入れて飾ってくれていたらしい。久し振りに取り出しても吹き出すほど懐かしくて「お節介」と思いつつスキャナーで画像にして送ってくれたのだとか。

昭和63年10月10日(1988年)昔から体育の日の10日は好天の特異日だ。前夜、栃木県小山市より我々夫婦はO川君の車で出発、米沢盆地を抜け長井市・木地山ダムの祝瓶山荘着7:30。歩き始めたのが8:25、桑住平9:00から直登ルートで祝瓶山山頂に11:20到着、出発が12:50となっている。好い天気で草紅葉のポカポカした山頂でヒルネをたっぷりしたらしい。それから紅葉の尾根を大朝日に向かって降り桑住平を経て往路を祝瓶山山荘に15:10に戻った。そして、そのまま帰京してO川邸に19:30到着しその晩遅く我が家に戻っている。

当時は若かったせいか、立ち寄り温泉にも道の駅(まだ無かった)にも寄らず、夜行日帰りで山形の山に行ったらしい。服装もニッカーボッカーだし、整理した積もりのアルバムが出てこないので貴重な記録だ。ご本人はスケッチした記憶が全く無いので、我々にとっては「お節介」なんぞとんでも無くタイムスリップした嬉しい贈り物に感激しています。



ちなみに、祝瓶山にはその後、2002年の同じ頃に別の仲間を案内した。このときは長井山岳会の祝瓶山荘に宿泊してゆったりと晴天の錦秋の山を感動してもらえた。

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那須塩原・日留賀岳

2014-10-04 | 山行
2014年10月4日 前夜池袋東口より出発、西那須野塩原IC=R400=「道の駅しおばら」には22:30頃着きテントで仮眠。翌朝、思っていた程晴れず雲がたなびいている。

一週間ほど前に、日帰りの山なら行けることになり学生時代の友人お二人に声かけした。日留賀岳はR400で会津に抜けるたびに気になっていた山で、何かのついでにでもと持ち越されていた山々でした。
朝食を済ませ早朝の塩原温泉街を抜け中塩原の木の葉化石の看板を見て箒川の橋を右折すると、日留賀岳の矢印があり、塩原中学の先を左手へ狭い道を登っていく。道なりに行き再び日留賀岳の看板で右折するとそのまま一本道で農家の庭先に到着、ここが小山邸だ。左手の駐車場にはすでに4,5台で満車。作業場で大根を洗浄しているオジサンが小山さんらしく、挨拶し駐車のお願いをして、母屋の玄関先で登山届けを書き裏山へ廻る。

小山氏神様の社に手を合わせ出発。立派な竹林とまもなく日留賀岳神社の石碑。暗い植林の山道を登ると30分ほどで東京電力の送電鉄塔でその先に林道が上がってきていた。

曇り空ながら明るい緑の林道歩きが比津羅山の肩(1030m)で終点で山道が始まる。

雑木の斜面をチラホラ秋の彩りを眺めながらジグザグで登りブナ林に達する。黄色く紅葉した1200~1400の尾根が気持ちがよい。

1500mの台地で北東に曲がる辺りより尾根越えの北西風が当たり始め視界もぼやけてきた。霧雨の風で樹木笹道が濡れ、どうやら雲堤に入ったらしく防風ヤッケを着込み尾根筋の左手を登って行く。



木の鳥居を潜って更に尾根を頑張る。次に足元にアルミの鳥居を見て一登りすると無視界の日留賀岳に着いた。



石の碑があり栃木100名山の文字も、二人連れが休憩中。白い世界のなかで我々も昼食を取る。明るいのでしばらく待っているとガスが切れ、北側の県境の連なりが見えた。



時折雲の切れ間に見える山腹は初秋の彩りだった。生憎、楽しみにしていた会越とか磐梯・飯豊の山々の展望が無く残念だつた。肩まで降りて暫し日向ぼっこをした。



あとは往路をのんびり下るだけ、陽差しと強風でクマザサもすでに乾いてしまっていたが意外に急坂で久し振りの膝には、いささか堪えたようだった。

小山邸では近所のオバサン達も交えて大根と蕪の出荷作業が忙しそう。今夏の日照と涼しい残暑に野菜の高値を招いているので、笑顔の小山さんから分けて頂いた高原野菜は何よりのお土産だ。



塩原中学まで戻り左手へ立派な道を上がれば「塩原温泉 箱の森プレイパーク」はNPO法人とかでバンガロー村と親子向け遊戯施設と日帰り温泉がある。遊湯センターは明るくて20時まで入れてしかも、大人600円だが、65才以上なんと200円とは嬉しい限り。

西那須野塩原ICより紅葉シーズン前の空いた東北道に戻り土曜日中に帰京した。

小山邸P(680m)7:10…鉄塔(903m)7:43…林道終点(1030m)8:29…木の鳥居(1510m)10:19…アルミ鳥居(1710m)11:16…日留賀岳(1848m)11:40,12:15…木鳥居13:22…林道14:38…鉄塔
15:11…小山邸15:38  


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