山のあれこれ

山の楽しみのあれこれを紹介していきたいと思います。

南アルプス前衛 雨乞岳

2014-09-14 | 山行
9月14日 久し振りの山行だ、3ヶ月半振りの夜行日帰り。当初は4月に計画したのだが、お天気等の理由で中止、その後再度の計画もボツ、三度目の正直という訳だ。

最初のときは残雪の頃に甲斐駒の霜降り模様を眺めにゲートから1時間ほどの林道歩行も含めて狙ったのだが、そのあとは文字通り雨天順延といったところ。昔はサントリー白州工場のある鳥原の石尊神社から歩き出す4時間半ほどの難路だった。それが平久保池のヴィレッジ白州というキャンプ場の先を林道が越えたところから整備された尾根歩きのハイキング道ができていた。山頂の標高が2036mで木立の開けた南側からは日向八丁の向こうに甲斐駒がデンと望める筈が、今日の稜線には雲が被っていた。

前夜発で小淵沢ICで降りてすぐの「道の駅こぶちざわ」に向かうが、隣の温泉は23時で既に受付終了していた。人気の道の駅で満車状態、デッドスペースになんとか潜り込み車泊した。

翌朝ピーカンの元、一旦20号に降りて下教来石付近で、青いヴィレッジ白州の表示を見つけ林道に入る。山の中の水溜まり風の平久保池の周りにバンガローが幾つか建っていて、そこから直ぐに登山口(1100m)があった。



初めはよく整備(木段)された1m幅ほどの尾根道が続いている。落葉樹林の気持ちのよい木陰の尾根道で左手からの遊歩道と何度が交わり稼いで行く。1750m付近で谷窪に水流を見つけると水場標識あり、再び尾根上に上がると樹林の南面が切れて日向山や八丁尾根が見渡された。





台地に上がると笹尾根でダケカンバの群生地で秋が楽しみ。まもなく静かな山頂に着いた。



南面が切れていて鳥原に降りる尾根とサントリーの工場の屋根が見えた。休んでいるとMTBを担いだ若者にぞろぞろと登山者が現れた。結構人気の山のようだ。MTB氏は鳥原に下るとのこと。



往路を戻り登山口には13時30分に戻った。幾つかある温泉で汗を流してから帰京しよう。雨乞尾白川林道を先に降りると白州塩沢温泉(フォッサマグナの湯)の裏に出た。

登山口8:20…水場10:08…雨乞岳11:20,40…登山口13:30


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秋刀魚が届く

2014-09-09 | 楽しい時間
9月9日 朝、ピンポンが鳴って玄関の扉を開けると石巻から宅配便で秋刀魚が届いた。差し出し人は妻の友人。発泡スチロール箱の中では見事な秋刀魚が15尾、氷水のなかに詰まっていた。

昨日は「目黒の秋刀魚」のニュースをやっていたっけ、さっそくお昼は焼き魚定食だ。とても我が家だけでは食べきれないのでご近所にお裾分けした。

東北から秋の便りがやって来てしまった。

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山の会の毎年恒例の夏祭り

2014-09-06 | 山行
9月6,7日 山の会の毎年恒例の夏祭り、今年は久し振りに奥多摩・氷川キヤンプ場
だ。昔のイメージでいたらとんでもなく立派になっていた。バンガローはログハウス風で畳敷き網戸は無かったが窓ガラスもちゃんとはまっていた。コンセントもあり中二階に梯子で上がれば5人は寝られる。参加者20人でバンガロー12人用と5人用を借用。2棟に重い布団セットを15人分借りて敷き詰める。バーベキューセットと薪と炭、ナベとか調理道具等々だ。

幾つかのコースから下山して会場に集まってくる。本隊は奥多摩駅に集合して会場まで。あとは都合に合わせて集まり16時頃から下準備に突入。夕方から雨の予報通り夜間、翌朝と結構な雨模様だがキャンプ場なので安心。



山梨に移住した会員が畑の産物のミニトマトや茄子を持ち寄り、沢屋がカマドを取り囲めば瞬く間に薪が燃え出し、炭が熾きれば金網を載せ焼き肉だ。食材担当主婦も普段は手が出ない黒毛和牛や松坂牛を大胆に購入してきたようで歓声が上がる。



リーダーの会長さんのご発声で宴が始まる、すでに飲み始めてはいたのだが。ふだん山や集会から遠ざかっていた創立メンバー等の大先輩にもお会いできて、焚き火の相手をしたり四方山話しで夜も更ける。

翌朝は、ほとんどが6時には動きだし片づけを始めるのが山の会らしさ。夏の朝食は定番の素麺、冷たい喉ごしがお代わりを誘う。小屋掃除をして小雨のなか帰る者、余った飲み物と薪を処分する者、それぞれだ。そんなふうにして今年も夏のお祭りが終わる。
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「新生・岳人」に遅れましたがエールを送ります

2014-09-01 | 楽しい時間
ターミナル駅前の書店で何気なく手に取る、その表紙は畦地梅太郎の版画でよく見ると「岳人」?と描いてあるではないか。サイズも小さいし、軽いし背表紙の発行元も違う。何だこれはとパラパラめくると巻頭にモンベルグループ代表「岳人」編集長 辰野勇、「新生・岳人」に寄せて が掲載されていた。一気に読んでしまった。中日新聞東京本社から「岳人」の発行継続が困難だったものをモンベルが引き継いだというのだ。毎月15日発売なのでこの頃、出不精になってしまった為か今頃気づいたのだった。

創刊が1947年(S22)というから67年という歴史の山岳雑誌だ。それは岳人達の情報誌でクライマー達の記録速報に憧れて毎月立ち読みしたり、古本を捜してきたりしたものだった。厳冬期とか先鋭的なものが多く冒険的な面もあった。用具の工夫の記事もあった。自分の山登りの趣旨からは外れていたので役に立つことは少なかった。70年代になると先鋭的な山登りが一段落して、辻まこと の表紙のようにキスリングザックを担いでニッカーボッカー姿で夏の南アルプスの縦走する特集記事に釘付けになった。

世の中は活字離れで、インターネットで他人の記録を参考にしたり昭文社エアリアマップで山に出掛けるようになってしまった。そういえば、山ブームでTVで百名山の番組が無い週は少ない。山渓誌等は山道具や山情報を立ち読みするくらいで、せいぜい図書館で山渓、岳人、新ハイキング誌の興味のある記事をコピーしてくる程度だ。昔のように専門店で山の本を買うことは滅多になくなり、ときどき山雑誌を手に取る位だ。

読み応えのある山雑誌に憧れる。私の小さな書庫の古雑誌や山の本は何度かの引っ越しでも必死になって付いて来ている。現在は、もっぱら四季を通じて楽しむ尾根歩きを岳人と同じ年齢になっても楽しませて頂いている。これも捨てられなかった山の本や雑誌のお陰だと思っている。

新しい編集長の下で、読み応えのある、いつまでも手許に置いておきたくなる本(雑誌)を作っていただきたいと思っています。新生・岳人にエールを送ります。
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