神和川も大分奥まった八幡から左に入っていく。奥名郷沢を見下ろす山肌にへばりつくように、独特の軒を並べたような奥名郷の集落がある。ここから、さらに奥に延びる奥名郷林道。もう数えるほどになってしまった西上州らしさを残した原生林を持つこの付近にも、とうとう伐採を目的とした林道工事が中津川まで貫かんとしていた。
天丸沢出合、コンクリート製の真新しい「天丸橋」で僕のスバルは、もう前進?出来なくなってしまった。(その年の夏に中古のスバル360を大枚5万円で購入。前進3速後進1速、非力な愛車は2人乗車で先ほどから、後進を交えてやっと林道を橋まで辿り着いた)大量のワイヤケーブル、丸太の山に大型トラックと飯場小屋がある。橋から覗き込むと、無惨な材木やらが累々と。
翌朝、天丸橋を降りて沢筋に入る。向かって右手の沢に沿って、適当に伐採跡を越えていくと、左岸に踏み跡が見つかる。何度か渡り返して薄暗い沢床を踏みつけて行く。青苔がビッショリ着いた沢床、西上州独特の奇岩奇峰が紅葉の広葉樹林の錦のドームの隙間から見える。青空から狭く暗い谷間に注がれる光線。小さな滝を掛ける左股を見送り、右の涸れ沢に入る。この辺りからは適当に急斜面を登り、頭上の奇岩の隙間を探りながら直登していく。
露岩の肩のところから一頑張りで一枚岩の左手に出ると左右に立派?な道(踏み跡)が付いていた。所々赤布もあった。初めてっきり右手の高みが「それだろう」と岩峰に苦労して登ったら、どうも違う。また戻り、樹林の根元に捕まりながら急登の末、原生林の暗闇からポッと天丸山頂に飛び出した。秩父側の見通しは良くないが、眼前の上信国境の十石峠、栂峠あたりの山並み、懐かしい山々が並んでいた。頂上より南側にも道が続いていた。 (1972.12.26記)
1972.11.4,5 会社の後輩のU君と所沢を朝、車で出発して正丸峠、志賀坂峠を越えて万場にでた。天丸橋のたもとには14:30とある。翌日、橋から天丸山まで上り3h30,下り1h30の山行だった。初めてのマイカーで山に行った山行。椅子を倒すと2人には充分、スバルの三角窓から星空が美しかったとある。コーラ90円,ビール150円の大昔のこと。
天丸沢出合、コンクリート製の真新しい「天丸橋」で僕のスバルは、もう前進?出来なくなってしまった。(その年の夏に中古のスバル360を大枚5万円で購入。前進3速後進1速、非力な愛車は2人乗車で先ほどから、後進を交えてやっと林道を橋まで辿り着いた)大量のワイヤケーブル、丸太の山に大型トラックと飯場小屋がある。橋から覗き込むと、無惨な材木やらが累々と。
翌朝、天丸橋を降りて沢筋に入る。向かって右手の沢に沿って、適当に伐採跡を越えていくと、左岸に踏み跡が見つかる。何度か渡り返して薄暗い沢床を踏みつけて行く。青苔がビッショリ着いた沢床、西上州独特の奇岩奇峰が紅葉の広葉樹林の錦のドームの隙間から見える。青空から狭く暗い谷間に注がれる光線。小さな滝を掛ける左股を見送り、右の涸れ沢に入る。この辺りからは適当に急斜面を登り、頭上の奇岩の隙間を探りながら直登していく。
露岩の肩のところから一頑張りで一枚岩の左手に出ると左右に立派?な道(踏み跡)が付いていた。所々赤布もあった。初めてっきり右手の高みが「それだろう」と岩峰に苦労して登ったら、どうも違う。また戻り、樹林の根元に捕まりながら急登の末、原生林の暗闇からポッと天丸山頂に飛び出した。秩父側の見通しは良くないが、眼前の上信国境の十石峠、栂峠あたりの山並み、懐かしい山々が並んでいた。頂上より南側にも道が続いていた。 (1972.12.26記)
1972.11.4,5 会社の後輩のU君と所沢を朝、車で出発して正丸峠、志賀坂峠を越えて万場にでた。天丸橋のたもとには14:30とある。翌日、橋から天丸山まで上り3h30,下り1h30の山行だった。初めてのマイカーで山に行った山行。椅子を倒すと2人には充分、スバルの三角窓から星空が美しかったとある。コーラ90円,ビール150円の大昔のこと。