…私達がこれら中級山岳を目的として出掛ける場合には、登山というよりも、むしろ山旅という方が、はるかに相応しい…。
山の頂きに私達を導く小径も、交通上の必要によって踏み残されたものでないというだけで、多くは峠道と大した変わりはないし、山頂に立った時の印象も絶巓を戦い取ったというような緊張したものでなく、山頂よりそこから遠く近く眺めやられる山波の展望を楽しむというような、極めて平和なものである場合が多い峠越えも、山登りも、まあ同じようなものだ。
日本の中級山岳へ出掛けていくのは「旅(たび)」の気分が多分に含まれているのだ。…「たび」のいいのはのんきなことにある。ゆったりとした山旅をしてこそ、低い山の持ち味も分かってこよう。それには、せめて三日二晩位の暇をもつて出掛けたい。
…旅に起きて、旅に寝る日が一日欲しいのだ。…
「山岳」第27年2号 昭和7年刊 藤島敏雄「山に忘れたパイプ」より
…そして僕流。山に起きて、山に寝る日を持った山行を (1972.10.15記)
山の頂きに私達を導く小径も、交通上の必要によって踏み残されたものでないというだけで、多くは峠道と大した変わりはないし、山頂に立った時の印象も絶巓を戦い取ったというような緊張したものでなく、山頂よりそこから遠く近く眺めやられる山波の展望を楽しむというような、極めて平和なものである場合が多い峠越えも、山登りも、まあ同じようなものだ。
日本の中級山岳へ出掛けていくのは「旅(たび)」の気分が多分に含まれているのだ。…「たび」のいいのはのんきなことにある。ゆったりとした山旅をしてこそ、低い山の持ち味も分かってこよう。それには、せめて三日二晩位の暇をもつて出掛けたい。
…旅に起きて、旅に寝る日が一日欲しいのだ。…
「山岳」第27年2号 昭和7年刊 藤島敏雄「山に忘れたパイプ」より
…そして僕流。山に起きて、山に寝る日を持った山行を (1972.10.15記)