ぶちょうほうの画(え)日記(一語一画(え))

亭主「ぶちょうほう」の身の周りのいろいろな風物を「画(え)日記」ふうに綴っています。

6/17 三河の鳳来寺山 その6:馬の背尾根を降りて仁王門まで。始めは不明瞭で険阻な道

2014-06-26 06:53:27 | 草花
今回は鳳来寺の本堂の脇の石段を登り、山頂方面に登り返します。
そして、山頂の少し手前から馬の背尾根の下りになりますが、その取り付き口が判りにくくて、その上にそれから先の道が大変険阻にして不明瞭であり、これはお勧めできる道ではありませんでした。
二人して、一所懸命道探しをしながら、モタモタと下っていくことになりました。
ここで思わぬ時間を使ってしまったようです。
山頂直下の取り付き口から下り始めて、やっとのことで一般登山道に合流し、それを使って参道の仁王門まで下るのに要した時間は、100分も掛かってしまいました。

その部分のレポートをしていきます。

勝岳不動 ↓

齢308にして自分の寿命を悟った利修仙人が、お供の三匹の鬼に「自分と共に死して鳳来寺の守り神になるように」諭し、鬼の首は寺の本堂の下に埋め、仙人自身はこの岩屋で入寂したそうです。
ここでは大岩から水のしずくが、細く間断なく滴り落ちていて、ペットボトルに水を満たすことが出来ました。



六本杉 ↓

今このあたりで見えている大杉はこの一本だけで、かつては七本の大杉が聳えていたそうですが、いまは往時の七本勢揃いした光景をしのぶよすがはありません。利修仙人はこの七本の杉のうちの一本を使い薬師如来像を彫り上げて、それが鳳来寺の本尊になっていると言う言い伝えがあります。
それ以来残された杉を六本杉と言うようになったということです。



奥の院まで ↓

奥の院まで未だ登りは続きます。奥の院に着くと、建物は見るも無残に荒れ果て、崩れ落ちていました。とても写真に撮る気持ちは起きませんでした。



参道入り口方面を鳥瞰 ↓

奥の院裏手の岩から鳳来寺参道(の入り口方面)を鳥瞰出来ました。
高度差は400mを超えています。



ササユリ ↓

その岩の元にササユリが咲いています。これが本日見る最後のササユリだったかもしれません。



下山取り付き点 ↓

馬の背岩に下りるその取り付き点探しはかなり難航するかと思っていましたが、
比較的アッサリと始めのワンチャンスで見つけることが出来ました。



シライトソウ ↓

その道に立ち入るや否や、シライトソウが回りに薄く群落を作って出迎えてくれています。
小躍りして、カメラを構えます。
しかし、このあとから道は不明瞭になり、時々道が途絶えたりして、赤リボンの目印と、GPSの情報を最大限活用しながら、緊張の山道くだりを続けることになります。
この後は踏み跡が不明瞭で、二人して道を探しながら歩き続け、約50分ほどして一般登山道と合流するまでは、かなりの緊張を強いられました。



馬の背 ↓

岩のむき出しになったやや細い稜線が有り、これ合馬の背と言うようですが、短い距離ですし、恐怖を感じるまでもありません。ここまで来ればもう安心です。向こう側に崩れかけた東屋が有り、ここで休憩を入れることにします。



ネジキ ↓

花の付いたネジキにやっと出会いました。登る途中でも見ていますがそれは花の末期のものでした。



山頂方面 ↓

山頂方面を仰ぎ見て、お別れをします。



イチヤクソウ ↓

花は付いていませんがイチヤクソウの株を見つけました。



ナベワリ ↓

尾根のこちら側でも、またナベワリを見ました。



馬の背尾根の取り付き口 ↓

参道の石段に合流しました。ここが馬の背尾根の取り付き口になります。



仁王門 ↓

馬の背尾根取り付き口のすぐそばに、徳川家光建立(完成は四代将軍家綱のとき)の仁王門があります。



仁王様(金剛力士像)↓

これは阿形ですね。一度だけこの場所に真夜中に一人で来たことがあります。懐中電灯の明かりに照らし出された仁王様の憤怒の形相・・・特に目玉の迫力は抜群でした。小さい子供なら引き付けを起こしそうだと感じましたね。
コメント (4)
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