ぶちょうほうの画(え)日記(一語一画(え))

亭主「ぶちょうほう」の身の周りのいろいろな風物を「画(え)日記」ふうに綴っています。

6/7日 雨とともに歩いた恵那山 その5:二乃宮から六乃宮、山頂恵那神社本社(奥宮)

2014-06-15 07:29:04 | 草花
ここで前宮ルートの「宮」である恵那神社について、以下にwikiの記述を引用しておきます。

恵那神社(えなじんじゃ)は、岐阜県中津川市にある神社で、創建時期は不明。
恵那山は天照大神の胞衣(えな=へその緒のこと)を納めた地であり、かつては恵那山自体が御神体であったという。
元々は恵那山山頂が本宮、麓が前宮であったが、1620年(元和6年)に前宮を新たに造営し直したさい、本宮が奥宮、前宮が本宮に変更される。 (引用終了)

前宮ルートを歩くと、山頂付近で祠が順次出てきます。
既に前回の記事で一乃宮が出ていますが、今回の記事では二乃宮から六乃宮までを漏らさずにアップして、一等三角点山頂にある恵那神社本社(奥宮)までを一挙掲載いたします。

バイカオウレン ↓

バイカオウレンがコケの上に敷き詰められた空間・・・・山の頂上部分の平坦地のところどころでこんな夢のような光景を目にするようになります。



神坂峠・富士見台コースと合流 ↓

ここにいたり、前方から神坂峠・富士見台コースが合流してきます。
このあたりの標高は2170mを超えて来ています。



残雪 ↓

木陰に雪が未だ残っています。



二乃宮 ↓

二乃宮は斜面に建っていました。



ミツバオウレン ↓

二乃宮を越えて、平らなところに出ると、ミツバオウレンの群舞した場所が出てきます。



三乃宮 ↓

三乃宮は坂の上にありました。こういった祠は昔からあったものですので、神前に供える陶磁器の欠片たものが辺りにあるらしくて、そういうものを収集する研究家とこの場所で出会ったことがあります。



恵那山の最高地点 ↓

三乃宮およびその周辺がこの山の最高地点のようです。
通常人が集まるいわゆる”山頂”とされているところはこれよりも400mほど南東にあり、そこは小広い平坦地になっていて一等三角点が置かれています。



四乃宮 ↓

最高地点の一角に四乃宮があり、ここから一旦少しだけですが下ることになります。



南アルプス ↓

四乃宮の背後に入っていく道があり、そこから良い眺望が得られます。
こんな天気にも拘らず奇跡的に南アルプスの勇峰群が頭だけ出していました。
左から仙丈岳、北岳、間ノ岳、塩見岳、悪沢岳がごく部分的ですが山頂部を覗かせています。



山頂付近の避難小屋 ↓

四乃宮から下りきったところに頂上避難小屋があります。



バイオトイレ ↓

小屋の向こうにバイオトイレも出来ています。



高い場所でサクラ ↓

こんなに高所で桜が咲いています。チシマザクラでしょうか。



五乃宮 ↓

避難小屋から一等三角点のある”山頂”を目指して登っていきます。
すぐに登りきったところに五乃宮が出てきます。昔はここからも良い展望が得られましたが近年は木が育ち枝が邪魔をして殆ど見えなくなっています。



シャクナゲ ↓

日当たりの良い場所にシャクナゲが有り、ツボミもつけていました。
このシャクナゲはケナシハクサンシャクナゲとされています。 念のために葉裏を確認しますと、たしかに無毛のようです。



イワカガミ ↓

イワカガミは未だツボミでした。



六乃宮 ↓

これが六乃宮で、数字の付いた最後の宮となります。道からやや奥まった場所にありました。



恵那神社本社 ↓

道の正面に今までの祠と比べるとやや大きめの祠が出てきます。
この場所を恵那神社奥宮としています。前述のように1620年まではここが本宮だったようです。


本社脇に石碑 ↓

祠の横に二つの石碑がありました。
人型の石碑はイザナギ・イザナミのどちらかでしょうね。丸型の石碑は日清戦大勝利  奉納
明治廿八年九月とあります。 こういう重いものを人力で運び上げていたのですね。
コメント (6)
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