#photobybozzo

沖縄→東京→竹野と流転する、bozzoの日々。

【Jul_12】丸八湯『西湖富士』

2019-07-12 | SENTO
丸八湯。丸山清人画「西湖富士」。
廃業後の曇天の光の中で経年劣化したペンキ絵。
象徴としての富士、象徴としての天皇、形骸化した様式、劣化した国体。
敗戦後74年の月日を憂い、この国の今をシンボライズする写真が撮れた。

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【Jul_05】阿目虎南×二藤健人

2019-07-10 | DANCE
阿目虎南ソロ『純血』@プロトシアター

振付・演出・美術・音楽・衣装・出演/阿目虎南
照明・舞台美術/二藤健人

写真UPしました〜!
【on_Flickr】0705_ICHOR


果敢に表現と向き合って行くぞ!と、
その迷いない心をタイトルに込めた虎南さんのソロ。
前半の面が「装い」であったとすれば、
後半のむき出しは、総てに感応する「からだ」そのもの。

この世界へのVIVIDな表出を高らかに宣言していたように思う。
今後の虎南さん、乞うご期待。

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【Jul_05】阿目虎南ソロ『純血』

2019-07-10 | DANCE
阿目虎南ソロ『純血』@プロトシアター

振付・演出・美術・音楽・衣装・出演/阿目虎南
照明・舞台美術/二藤健人

写真UPしました〜!
【on_Flickr】0705_ICHOR


果敢に表現と向き合って行くぞ!と、
その迷いない心をタイトルに込めた虎南さんのソロ。
前半の面が「装い」であったとすれば、
後半のむき出しは、総てに感応する「からだ」そのもの。

この世界へのVIVIDな表出を高らかに宣言していたように思う。
今後の虎南さん、乞うご期待。

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【Jun_28】安慶田の『中乃湯』

2019-07-07 | SENTO
沖縄唯一の銭湯、安慶田の『中乃湯』。

とてつもないオンリーワンな場所。
脱衣所と浴場が一体化、トイレが一番奥にあり、しかもボットン。
木蓋を開けると臭気と共にハエが舞う。小判形の湯船に「湯&水」交流型蛇口。
那覇の日の出湯と仕様変わらず。水色に統一された内装が沖縄らしい。
湯上り後、外気に晒され汗止まらず。銭湯文化根付かぬワケだわ。

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【Jun_30】北千住『金の湯』

2019-07-07 | SENTO
U-zhaan & Ryuichi Sakamoto feat. 環ROY × 鎮座DOPENESSのエナジー風呂 (Energy Flo)と舞台となった「金の湯」。
映像とあらためて比べてみると、照明がいかに大事かがわかる。しかし、唯一このPVに負けてないところが、露天風呂。
煌々とした蛍光灯の浴場から一歩外に出ると、半露天で月光が射し込む陰な風情。湯加減も照度もボク好みでとても落ち着く。
ここはサウナが400円と高めだけど、露天と水風呂交互で良い感じ。ペンキ絵は中島さん。

「カラダの循環、良くなる瞬間、風呂で改善、エナジー風呂。」

銭湯、素晴らしいところだわ。

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【Jul_02】サタンジャワ終了

2019-07-04 | DANCE
サタンジャワ』終了。
高貴な女性に恋した貧しい男が、サタンに魂を売って富を受けその女性と結ばれるが、欲望の虜と化し身を滅ぼす。
異界が実在を揺るがす世界観は、人間の感性がどこまでも拡張可能であることを讃えていて、
この世界そのものが時空を超えたひとかたまりな【全体】であると。

目指すべきは電脳を駆使し、叡智を押し拡げた【智】の盲信ではなく、
身体感覚を引き延ばし、時間を空間を超越する【感性】の研磨にあるのではないか。

総てが円環して繋がっていることの体感が【生きる】行為を豊穣に導く。
ガリン監督、森永泰弘さん、コムアイさん三者の創作過程に関わって、その想いを強くした。

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【Jun_22】宮本隆司さんと佐々木幹郎さん

2019-07-04 | PHOTO
待つこととヒョウタン ― 宮本隆司『いまだ見えざるところ』展レヴュー  by福島恵一さん

非常に示唆に富んだ精緻な分析。
宮本さんの写真がもつ静寂は、『光を受け止めるには闇が必要』だとする思索の結果だと。
『見える部分は、見えない部分によって支えられている』ことをピンホールカメラの撮影によって、身体的に感得したのだと。
デジタルカメラでしか経験のない人間には到達できない境地。『いまだ見えざるところ』が在るからこそ、見ようと欲する。
ボクが宮本さんの写真から受けていた影響を、見事明文化されている…と思った。


以下、コピペ。

「写真という形式は受け身である。受動。(中略)決定的なところでは、光景を受け入れる。
光を受け止めるという、受け身の部分があるんです。(中略)写真の最終的な、像を感光材料に反応させるときは、受け身なんです。
その受け身であるという状態のときに、ある時間 —−—− 動かしようのない時間といえばいいか —−—− が刻まれる。
その操作できなさ、時間の動かしようのなさが写真にはありますね。」
(p.130)

「ピンホールにしてもフォトグラムにしても、非常にシンプルで単純な写真なんだけれども、やってておもしろいんです。
意外と奥が深い。それとデジタルカメラではなかなか味わえない身体感覚。五感を総動員して使うような写真撮影なんです。
写真にとって闇が非常に重要だっていうのも、そういうシンプルな写真撮影をすることによって感じられることなんです。
デジタルカメラで闇なんて、誰も気づかない。(中略)像を結ぶときは必ず闇の中に光を導き入れてるはずです。
そうじゃないと像を結ばない。これは光の原理だから。」
(p.131)

「見ること、見える部分は、見えない部分によって支えられている」ことを、
宮本は写真の原初へと遡りながら見ることの探求を深める中で、ついに感得したのだ‥‥と読みとることも、あるいは可能かもしれない。


宮本の写真の「均質な写しこみ」(林道郎)は、このじっと待つことの結果だと思わずにはいられない。
外部からの濫入者によって巻き上げられた澱が沈み、眺めが澄み渡るのを、池の底で身じろぎもせず待ち続ける巨大なヌシ。
この「待つこと」は、ピンホールカメラの露光時間の長さとは関係がない。
本来、生成変容を続ける世界を一瞬のうちに切り取る写真において、
その極端な時間の薄層の中に世界の存在と関係性を遍く封じ込めようとした時に、それは必要とされる時間なのだ。


風景であれ、建築であれ、「廃墟」であれ、人物であれ、彼の写真が常に帯びている静けさは、
語り尽くした後の(あるいはしゃべりが途切れた一瞬の)沈黙ゆえではないか。
そこにはざわざわとしたざわめきや、ぎらぎらとしたまぶしさがない。
部分がこれ見よがしに突出することもない。色彩が飛び散り乱舞することもない。
穏やかに凪いだような視界の平坦さがある。
そうであればこそ、すべての面や辺が空間の奥行きとともに浮かび上がり、
その間を走る多様な関係の線もまた、余すところなく可視化されるのだ。
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