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沖縄→東京→竹野と流転する、bozzoの日々。

【Sep_21】黒田育世×中沢新一

2014-09-22 | Mement_Mori
Dance New Air_関連企画「黒田育世×中沢新一」対談@青山ブックセンター

このふたりの組み合わせを聞いただけですぐさま応募したのだけど、
期待どおり様々な示唆に富んだ対談だった。

まず驚いたのは、育世さんはまったく本が読めない…ということ。
中沢さんの著作を対談前にトライしてみたのだけど、前書きまでが精一杯だった…と。

やはり言語化できないモノを抱え込むからこそ、あれだけのエネルギーで作品が成就するのだと、合点。

言葉にできる&できない…の境界線によって多くのモノが実は抜け落ちていて、
その「できない」部分に意識的であるか否かが、生きることの本質と深く関わっている…という事実が、浮き彫りに。
近代以後、いかに言葉偏重で多くのモノを見喪ってきたか…考えされられた。

政治や立法、司法など、この世を動かしている物事がすべて
言葉によるジャッジで成立している不均衡さに、もう少し意識的であるべきだと。

その後、大脳辺縁系から松果体へと話は進み、
インドヨーガやシュタイナーのオイリュトミーが舞踊の核心に触れていること、
育世さんにとってのダンスは、声帯の筋肉の細かい揺らぎが松果体を刺激し、カラダを動かしているのだ…といったこと、
だから「落ち合っている」での怪我をした海鳥の言葉にならない声は発せられているといった肉体的な話から作品の中核へと話題は遷り、
弱者に寄り添うとは、実は加害者にもなり得るという視点をもつこと…
おのれ自身が残酷なモノを秘めているのだ…という事実を描くことだと語っていたのが、印象的だった。

宗教的観点から中沢さんが語っていた「原始的な神は無力だった」という切り口にも共鳴。

なにもできない存在を崇め、そこに在ることの尊さが「神」である…と敬った日本人の宗教心が白眉だと。
「居てくれるだけで有り難い」と気付くことで世界の奥行きが広がる…といった話は、
育世さんの世界観と通じるところがあって、顫えるものがあった。

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