高橋源一郎さんの祝辞。
「正しさ(justice)」への同調圧力という
言葉が響いたので転載させてもらいました。
「正しさ」への同調圧力ってなんでしょう。
つまり自分の中で「考える」行為をしていない…ということ。
今日、能楽師の粟谷明生さんとお話する機会があり、
非常にココロに響いたのですが、
「震災で、自分の頭のネジをきつく締める思いが生まれた」
というひと言。
このひと言をボクなりに解釈すると、
いま自分がしていることは本当に必要なことなのか?
いま自分が欲しているものは本当に必要なものなのか?
いまいちど、立ち止まって「考えて」みよう。
あまりにも「考える」ことに対して無碍な振る舞いをしていないか。
考えすぎて行動できないのも考えものだけど、
右から左の受け売りで何事も推し進めていないか…と。
もっと自分の行為に責任をもって取り組んでいこう。
そんなふうに響いたのです。
それで「正しさ(justice)」への同調圧力にピンと来ました。
原発事故がいまも現在進行形です。
廃炉への処理作業は通常20年…と新聞に書かれていました。
放射能で汚染された水を処理することさえ、今のニッポンには受け皿がありません。
扱いの困難な原子力で、わたしたちは快適な暮らしを営んできたこと。
そんな事実に向き合うことも、「正しさ」について考える一歩だと思います。
「正しさ(justice)」への同調圧力という
言葉が響いたので転載させてもらいました。
「正しさ」への同調圧力ってなんでしょう。
つまり自分の中で「考える」行為をしていない…ということ。
今日、能楽師の粟谷明生さんとお話する機会があり、
非常にココロに響いたのですが、
「震災で、自分の頭のネジをきつく締める思いが生まれた」
というひと言。
このひと言をボクなりに解釈すると、
いま自分がしていることは本当に必要なことなのか?
いま自分が欲しているものは本当に必要なものなのか?
いまいちど、立ち止まって「考えて」みよう。
あまりにも「考える」ことに対して無碍な振る舞いをしていないか。
考えすぎて行動できないのも考えものだけど、
右から左の受け売りで何事も推し進めていないか…と。
もっと自分の行為に責任をもって取り組んでいこう。
そんなふうに響いたのです。
それで「正しさ(justice)」への同調圧力にピンと来ました。
原発事故がいまも現在進行形です。
廃炉への処理作業は通常20年…と新聞に書かれていました。
放射能で汚染された水を処理することさえ、今のニッポンには受け皿がありません。
扱いの困難な原子力で、わたしたちは快適な暮らしを営んできたこと。
そんな事実に向き合うことも、「正しさ」について考える一歩だと思います。