#photobybozzo

沖縄→東京→竹野と流転する、bozzoの日々。

【DACHAU】驚愕の連続

2008-06-12 | MUNICH
3月16日。日曜日。
鉛色のどんよりした天気。

強制収容所に
足を踏み入れる。

展示棟となっている建物は
ドイツ側の管理棟と思われる。

囚人棟の32棟はすでに取り壊され、
今あるモノは2003年に再建築されたもの。

かつての囚人棟は
コンクリートの土台を残すカタチで
その規模を再現していた。

1933年建立。
今から75年前。

1945年の解放までに
32099人が収容所内で死亡。
約1万人が疫病、栄養失調、自殺などで
ダッハウ周辺で息絶えた。

第三帝国の情勢が非常に厳しくなった1941年以降は、
政治犯や異分子がどんどん送り込まれ、
定員250人の囚人棟に約1000人が詰め込まれていた…という。

その大半はチフスなどの疫病にかかり、
食事も満足に与えられず、劣悪な環境の中で
どんどん死に追いつめられていった。

収容所内には巨大な焼却炉施設が併設され、
日に100人単位の死体が処理されていたが、
それでも追いつかず、死体の山がそのまま放置されていた…という。

まざまざと見せつけられる映像の数々。

ストライプ柄の囚人服をまとった群衆が、
死体脇で貧相にカメラを見つめた写真。

そこには「生きる」ことの意味すら、失われていた。

折り重なる手足、それを一輪車で運ぶ囚人。
囚人棟の室内いっぱいに積み重なった死体。
その脇で、目だけをギョロギョロさせ、
盛んに身体をひっかいている。

シブヤのスクランブル交差点…あの雑踏が
そのままこの収容所にあるような、そんなありさま。
最大時は40000人もの人間が、この区域に閉じこめられていた…。






Comment    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 【DACHAU】ダッハウ強制収容所 | TOP | 【DACHAU】囚人棟 »
最新の画像もっと見る

post a comment

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

Recent Entries | MUNICH