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沖縄→東京→竹野と流転する、bozzoの日々。

【Jul_21】ALBERTO_GIACOMETTI

2017-07-24 | ART
国立新美術館開館10周年
ジャコメッティ展

ぼくにはもう自分は誰なのか、どこにいるのか、わからない。
自分がもう見えない。ボクの顔は白っぽい、力の無い曖昧模糊とした塊のように見えるだろうと思う。
カタチのないぼろ切れで、かろうじて全体が支えられている塊、だがそのぼろ切れは床に落ちていく。
曖昧な幻影。
顔や人物は、内部の、外部の、絶え間ない動き以外のものではない。
絶えず作り直されている。そこにはほんとうの堅固さがなく、側面は透けている。

                ALBERTO_GIACOMETTI(1901-1966)

ジャコメッティの大規模な回顧展。初めて間近にした彫刻群。
なるほど、この作家は生来、精神分裂的な状態だったのではないか。

この執拗なほどに両目と鼻の位置の確認をくり返すデッサンや、
「目に見えるまま捉えようとするとスケールが小さくなってしまう」とした初期の逸話や、
晩年NYから公共彫刻の依頼を受けても成就できずに終わってしまったことなど、

アーティストとしてアトリエに籠もり、
ミニマルな生活から逸脱しないよう生きてきた人間の、
閉じられた世界が胸に響いた。

生涯『耳』だけを作って早世した三木富雄に通じる偏狭さである。

しかし、その「水滴石を穿つ」偏狭さゆえに、見えていたものがあるように思った。

「自己が主体となって自己の生命を生きるということは、
一方では生命一般の根拠である「おのずから」の動きに関わると同時に、
他方では間主体的な世界へと向けて、自己と非自己から区別しながら
自己と非自己の「あいだ」で「みずから」の交換不能な存在を維持することである(木村敏)」


西田幾太郎の系譜を汲む木村敏さんのこのコトバを体現するようなジャコメッティの生きる行為。

この作家が今注目されているのも、
結局は自己と非自己のバランスを欠いた現代社会での、
混沌とした所在なさに答えを求めるわたしたちがそこに投影されているからだ…と思う。


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