08/12は中上健次没後25年の日。
建築カメラマンの助手だった当時の記憶を呼び覚まそうと25年前のノートをめくる。
なんと、25年前の1992年、04/25に尾崎豊が亡くなっていた。
そして、08/04には母方の祖母が69歳で召されていた。
…その悲泣のどん底の時に、中上健次は逝った。
ノートは綴る。
10年前の10/04にはグレングールドも脳卒中により50歳の若さで亡くなっている。
1992年は死が散りばめられていた年だったようだ。
自身の人生も下降を辿り、ガマの中へ落ち込むように翌年、職を辞し、
仙台の実家へ戻ることとなる。
それでもノートには、グールドのコトバを借り、
「一般的な規則から逸脱したもののみが、逆に本当に普遍的なものに到達できるというパラドクス。
…アーティストとしての価値はただ一つ、対象としている世界から隔絶していることだ。
私は孤独な状態でこそ、能力を発揮できる人間なのだ」と、自分を鼓舞しているのが、痛ましい。
こうやって、25年の時を経て墓前に組して思いを吐露してみても、
偉大なる作家の存在はますます遙か遠く、自身を顧みるばかり。
せめて何かに導かれようと、刻まれた名前をじっと見つめるのみ。
建築カメラマンの助手だった当時の記憶を呼び覚まそうと25年前のノートをめくる。
なんと、25年前の1992年、04/25に尾崎豊が亡くなっていた。
そして、08/04には母方の祖母が69歳で召されていた。
…その悲泣のどん底の時に、中上健次は逝った。
ノートは綴る。
10年前の10/04にはグレングールドも脳卒中により50歳の若さで亡くなっている。
1992年は死が散りばめられていた年だったようだ。
自身の人生も下降を辿り、ガマの中へ落ち込むように翌年、職を辞し、
仙台の実家へ戻ることとなる。
それでもノートには、グールドのコトバを借り、
「一般的な規則から逸脱したもののみが、逆に本当に普遍的なものに到達できるというパラドクス。
…アーティストとしての価値はただ一つ、対象としている世界から隔絶していることだ。
私は孤独な状態でこそ、能力を発揮できる人間なのだ」と、自分を鼓舞しているのが、痛ましい。
こうやって、25年の時を経て墓前に組して思いを吐露してみても、
偉大なる作家の存在はますます遙か遠く、自身を顧みるばかり。
せめて何かに導かれようと、刻まれた名前をじっと見つめるのみ。