館山海軍航空隊赤山地下壕
館山は房総半島の先端、東京湾の入り口なので、日中戦争時から最重要地として水面下で防塞が計画実行されていた。
ほとんどの赤山地下壕に関する記述が、1942年頃慌てて作られた…と記されているが、それはきっと歴史の何かを抹消するためだと思う。
当時から本土決戦も辞さない気概で、水面下で掘られていたのではないか…と思わせるほどの精巧な作りであり、相当な規模の地下壕である。
洲崎灯台の近辺には人間魚雷“震洋”を配置した横穴が海岸線に並んでいる。
オキナワや奄美と同じ情景。
首里城の地下に巨大な壕が現存していて、
本島決戦時の司令塔として最期まで使われていたことを考えると、
館山のこの地下壕も周到に用意されていたものだと思うわ。
そして、そのような史実が「長州レジーム」には都合の悪いものなので、
首里城も国のカネで建立され、赤山地下壕もただの防空壕として一部公開のみなのだと、考える。
1.6kmの壕がたった250mのみ公開って。意味分からん。
とにかく、ウークイの日に遭遇したのは、とても意義深い。
#photobybozzo
館山は房総半島の先端、東京湾の入り口なので、日中戦争時から最重要地として水面下で防塞が計画実行されていた。
ほとんどの赤山地下壕に関する記述が、1942年頃慌てて作られた…と記されているが、それはきっと歴史の何かを抹消するためだと思う。
当時から本土決戦も辞さない気概で、水面下で掘られていたのではないか…と思わせるほどの精巧な作りであり、相当な規模の地下壕である。
洲崎灯台の近辺には人間魚雷“震洋”を配置した横穴が海岸線に並んでいる。
オキナワや奄美と同じ情景。
首里城の地下に巨大な壕が現存していて、
本島決戦時の司令塔として最期まで使われていたことを考えると、
館山のこの地下壕も周到に用意されていたものだと思うわ。
そして、そのような史実が「長州レジーム」には都合の悪いものなので、
首里城も国のカネで建立され、赤山地下壕もただの防空壕として一部公開のみなのだと、考える。
1.6kmの壕がたった250mのみ公開って。意味分からん。
とにかく、ウークイの日に遭遇したのは、とても意義深い。
#photobybozzo