#photobybozzo

沖縄→東京→竹野と流転する、bozzoの日々。

【Jul_03】『班女』と『みづうみ』

2017-07-03 | ACT!
劇団山の手事情社公演「班女」@The 8th Gallery
作/三島由紀夫
構成・演出/大久保美智子
監修/安田雅弘

明日楽日を迎える『班女』の妙齢Ver.を観劇。
山の手ならではの解釈と動きに感嘆の声を上げてきたのだけど、
見終わって、はて?これは『みづうみ』の世界と近いものがあるわな…
と帰路に考えを巡らした。

川端康成の『みづうみ』は1955年に新潮社から刊行されているのだけど、
三島由紀夫はこの小説を「華麗な暗黒小説」と愛憎交えた感想で讃えている。
そして、翌年の1956年に『近代能楽集』は刊行されていて、
ボクは思うに『班女』は図らずも『みづうみ』に触発されている部分があるのでは?と踏んだ。

…というのも、『みづうみ』における銀平は
自分の妄想をひたすら成就するために「ゆきずり」の女を追い掛け、
最後まで自身の醜悪さと心の憧憬である「みづうみ」とのギャップに
「生きる」ことの意味を問うのだが、
この『班女』における花子も良雄を待ち続けることで、
決して成就しない自身の望みを糧に「生きている」と言えるからである。

演出ノートで大久保さんも記しているけど
「ネガティブが極みまで行くと反転して輝きを放つ」とは、
gojunkoの感想でも記した…
「生まれてきてしまった」負い目をひたむきに成就しようという、
地上の存在に成り切ろうという、不完全な自己への不完全ゆえの完結…を目指す
生そのものへの全肯定があるのではないか…と。

晩年の川端康成がそのような方向性へと向かったのには、
やはり人生を「生き抜く」ことへの負い目がずっとついて回ってきたから、だと思うのだ。

『班女』を堪能して、自分にとっての生きる指針がひとつ加わったような、
そんな…鍵がひとつ開いたような、感慨をもった。

明日が楽日、2ステ。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする