#photobybozzo

沖縄→東京→竹野と流転する、bozzoの日々。

【Mar_20】牛舎につながれたままの牛は3,000頭も餓死したんです!by中洞正

2017-03-20 | Photo-diary
【特別対談】「これ以上、人は自然から離れてもいいのか?」
〜山地酪農家・中洞正 × 東北食べる通信編集長・高橋博之

24時間365日牛を放牧し、日本一高い牛乳で知られる
「なかほら牧場」の中洞さんとの対談は、
自然放牧と牛舎における牛が、
山生活と都会生活の人のようだ…と始まった。


“牛なり・山なり・自然なり”の信念で40年
キレイゴトを言い続けてきた中洞さんのひと言ひと言が痛烈。

しかしその中身は至ってシンプル。

“人間は自然の一部”である、そのことの認識だけ。
だから牛だって牛舎につなげず放牧したほうが良いに決まってる。
それを国はあたかも工業製品のようにつなぎ止め、
穀物を与え続け、搾乳を繰り返し、大量生産の「命の使い捨て」を推進してきた。

近代化とはなんだったのか?

大規模化効率化の果てに到達した現場は、
未来のない現実に直面している。

飼料代に6,000万円もかけ、糞尿処理に億単位の設備投資をし、
ストレスを抱えた牛の対応に神経をすり減らせ
それでも儲からず後継者不足に頭を抱えているではないか!

原発事故による死者はひとりも出なかった…と政府は云う。

「いいですか?牛舎につながれたままの牛は3,000頭も餓死したんです!
餌をくれ、餌をくれ、と同じ方向に頭を向けて死んでいったんです」


近代化によって自然と分断された人間は、
食い物をつくる仕事に穢れを感じ、
恥ずかしいという感覚すら常識になってしまった。

どこまで間違い続ければ済むのだろう。

“人間は自然の一部”であることの、その認識に立ち戻り、
ゼロからこの社会を建て直していく。

「なかほら生き物学校」の【規格外】な生き様に、
オノレの尊厳を貫くことの真っ当さを見た。

シビれました。
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【Mar_18】MOKK活動10周年公演『ピリカ』いよいよ〜!

2017-03-20 | DANCE
MOKK活動10周年公演『ピリカ』いよいよ東京から公演!


アイヌ語で素晴らしいを意味する『ピリカ』。
人類終焉に宿る豊かさ…というMOKKらしい切り口で、
「地樹なく声」を魅せる舞台となります。

灰となって燃え尽きた後も、再生の糸口として「声」は響く…。
そんな人間の尊厳を込めた作品。10年の集大成です。

参加ダンサーのバランスがすみれさんらしい。
東京→仙台→北九州→京都と巡ります。是非〜!

【構成・演出・振付】村本すみれ

【出演】青木尚哉、新宅一平、竹内英明、森川弘和
    金子愛帆、小松 睦、菅 彩夏、手代木花野、中村優希、村田 茜

【音楽】松本淳一
【美術】青木拓也
【照明】高田政義(RYU)
【音響】林あきの
【衣裳】生田志織
【舞台監督】湯山千景
【宣伝写真】大橋翔
【宣伝美術】松本久木
【仙台公演制作協力】からだとメディア研究室
【制作】上栗陽子、鳥井由美子
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【Mar_20】職質は国家に服従させるための手段だよ

2017-03-20 | Photo-diary
スロヴェニアにおけるSQUAT事情@新宿カフェLavenderia
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【Mar_20】スロヴェニアにおけるSQUAT事情

2017-03-20 | Photo-diary
スロヴェニアにおけるSQUAT事情@新宿カフェLavenderia


たまたま訪れたLavenderiaで、非常に興味深い話。
スロヴェニアのMetelcovaRogといったSQUAT(不法占拠地帯)を
巡った人物のスライドショーだったのだけど、
旧ユーゴ時代の兵舎をグラフィティで染め上げた廃墟群には、
システムや既得権などのキャピタリズムをモノともしない、
アナキストたちの精神と思想が溢れていた。

日本ではなぜかアナキズム=テロリズムへの誤解が蔓延しているのだけど、
アナキズムは徹底的な権威への嫌悪であり、
個人個人の「尊厳」を第一に考える思想。

テロによるシステムの刷新とは根本が違う。

日本にそれが育たないのは多分に教育が影響している。

「平等」を装い「社会構造体」を温存するキャピタリズムは
欺瞞だらけで個人の「尊厳」には目もくれないが、
仕組みを言い訳にすれば効率的であり社会は円滑に回るのだ。


アナキズムは個と個のあいだでのみ成立するので、
非常にごにょごにょしており物事が一向に進まない。

しかしそこには「生きる」ことそのものが充溢しており、
人間本来の知性と野性が共存しているように思う。

いつまでも強硬なヒエラルキーに頼ってないで、
もう少し個々の「尊厳」について思考を巡らすのも一興ではないだろうか?
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