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沖縄→東京→竹野と流転する、bozzoの日々。

【Jan_28】マキーフン『胎内』

2016-01-29 | ACT!

マキーフン旗揚げ公演『胎内』@SPACE梟門
http://maki-fun.jimdo.com/

2日め、しっかり観劇してきました。

終演後、藤井さんにマキーフンの立ち上げ主旨を聞いたら、
「役者が行動しなくては思い通りの役にありつけない。
マキーフンは役者がやりたい役をつくる“工房”であり、
公演はその“プレゼン”の場なのだ」と。

演出家竹内敏晴さんが
「近代劇を乗り越えるのは俳優の問題であり、演技の問題」だとして「竹内レッスン」を始め、
「演技とは、からだ全体が躍動することであり、意識が命令するのではなく、
からだが自ら発動し、みずからを超えて行動すること。
また、ことばとは、意識がのどに命じて発せしめる音のことではなく、
からだが、むしろことばが自ら語り出すのだ」

という指針に同調するかのように、
三好十郎の『胎内』を役者は血肉化して体現された舞台でした。

仕切られた舞台を暗闇の壕に見立て、七転八倒し、
人間のサガを剥き出しにするサマは、
竹内さん曰く押さえ込まれたカラダを解放する行為。

解放の限りを尽くし、人間の可能性を押し広げることが、
役者の使命でもある…と云わんばかりの、レンジの広い演技には、ホント感服。

あらためて十郎の戯曲は、料理次第で役どころの幅を、役者の幅を見せられる作品なのだ…と思った次第。

それにしても佐山最期の独白「人間讃歌」は、何度聞いても額面通りには受け取れない。
肯定することで問題と対峙するのを避けている印象がある。
「冒した者」の結末もそうだった。須永の自死は納得できない。
突き詰めることを諦めたような哀しみがある。

その二律背反をもっともっと思考してみたくなる三好作品。
『胎内』は特に密室劇として秀逸です。

マキーフン明日からマチソワ3連日!!
この人間肉薄の戯曲をお見逃しなく!
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