平敷兼七写真展『沖縄、愛しき人よ、時よ』@写大ギャラリー
平敷さんの『山羊の肺 沖縄1968-2005年』と写大時代の学生寮の日常を撮った『南灯寮』のモノクロ約180点の展示。見応え十分。
平敷さんの写真集『金城美智子・光と影の世界』はニコンの書庫で衝撃を受けた作品だったけど、この『南灯寮』と『山羊の肺』は、
等身大の平敷さんが投影されていて、滋味深い味わいある写真群だった。
特に『南灯寮』の写真は東京狛江での学生生活がまんま切り取られていて貴重。
気負わずにシャッターを押している平敷さんの眼差しが感じられ、笑みが出る。
半裸で空手を楽しみ、山羊をつぶして酒盛りに狂乱する姿は、復帰前の居心地悪い東京で
唯一ウチナーンチュらしい生活を謳歌できたであろう状況が想像できて、込み上げるものがあった。
感想ノートには、モノクロ写真・オキナワ・故人…という表層的なイメージに依る
なんとも優等生的な畏まったコトバばかりが綴られており、
「復帰前のオキナワの苦しみ」「今も残る悔恨の念」「貴重な時間を記録した遺産」「平敷兼七の偉業」…などなど、
モノクロというだけで何か威厳を讃えているかのような受け止め方で辟易。
そこに写っている空気を、人を、現象を、ニュートラルに感じれば、
「海洋博で失敗し、一生懸命働いて借金を返している元料亭のかみさん」〈泉町〉
「双子を産みひとりは家族に取られ、もうひとりを取られまいと逃げまわっている女性」〈那覇〉
「ゴルフ場近くに三角小屋をつくって住み、夜になると池に落ちたゴルフボールを拾い、また池のカエルを食べにくるハブを捕らえて売り生計をたたている男」〈具志頭〉
「毎日空き瓶と空き缶を拾って家をつくった人」〈浦添〉
「道から拾ったもので小屋をつくって住んでいる男性」〈那覇〉
…と、オキナワそのものをまんま切り取っていた平敷さんの、オキナワへの愛がストレートに伝わってくるはずなのだ。
オキナワ…というと、それだけで色眼鏡を掛けてしまう、そのスタンスこそ差別であり、
畏まり距離を置く態度こそが、今のオキナワを辺境へと追いやっている元凶なのだと思う。