私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

おせん 11

2008-04-16 10:28:45 | Weblog
 舟木屋に戻った平蔵は各地から送られてくる綿の作付けや出来具合などの状況を細やかに記録しています。もう二年はくるでしょうか、何事につけても生真面目で細かい配慮をする性格が認められたのでしょう、取引のある尾張や備中などの各地から集まる情報を、主に一人で記載しまとめています。
 立見屋から戻ると、備州方面に出払っていた間に溜まっていた沢山の報告も整理しなくてはなりません。朝からそれこそ夜遅くまで、食事をとる時間も惜しむようにして、机に向かって筆を動かせています。
 幾日かたったある日の昼過ぎです。突然、大旦那さんが、平蔵の机の前にお座りになられます。
 この大旦那様は、もうとっくの昔、平蔵が奉公に出る以前から、ご隠居されていて、老後の楽しみといってしまえば語弊がありますが、お若い時からお好きだった、大変古い昔の本をよくお読みのようです。時々ですが。源氏がどうの紫何某がどうのというお話をお店の者を捕まえてはお話されています。平蔵も例外ではありません。そんな話など今まで聞いた事もなく、さすが大阪だなといつも感心させられていました。でも、源氏がどうの紫がどうのと聞いても、話はちんぷんかんぷんで、よく分りません。いい加減に返事をしてその場を繕くろっていたのです。
 ある時、染屋に奉公している平蔵と同じ連島村から出てきている三吉から「紅花」の話を聞き、その花が「末摘花」と呼ばれているという事も教えてもらい知っていました。
 何時でしたか、多分2,3年前の秋が深まった時分だったと思います。大旦那さんが
 「お前達、末摘花をしっているかい」
 と3,4人の奉公人を捕まえて、突然、話されています。誰も知っているものなどいません。たまたま、平蔵が以前三吉から聞いていたので、「紅花と違います」と答えます。
 そのことをきっかけにして、大旦那さんは、平蔵の仕事振りにも気に入ったのか、よく声を掛けてくれはるようになられます。
 「まだお侍さんの時代ではなかった古い古い昔のはなしどす。紫式部という女の人はんが書かれました源氏物語という本がおます。その中にあるのどす」
 とも教えてくれました。こんな本なども、とってもむずかしいけれど「時々は読んでみなはれや」といわれます。
 こんな話をされた後、必ず、
 「人の幅拡げんといかんでー」
 とも言われます。人の幅とは何であるか、まだ、平蔵にはよく飲み込めなくないのですが、なんとなくお店の仕事をしていると、ふと、これが大旦那さんのおっしゃる人の幅ではないかと、この頃少しずつ感じるようにもなりました。
 織屋さんに綿を持って伺うことがあります。同じ物を持て行って見せるのですが人様によって、その屋のご主人さんによって、また、番頭さんによって、平蔵などの綿屋の者にたいする態度がそれぞれ異なります。
 「たがが綿やの小増か」と、見下して鼻先であしらうような人もおります。反対に、自分のような走り使いのような小者みたいなものに対してでも、大人同士の話のように熱心に聞いてくれて、誠意を持って対応してくれているのだなあと感じられるような人もいます。
 色々の人を見てきてはいますが、どれが人の幅であるのかは、まだ其処まで正しく判断することは平蔵には出来ないように思われます。人として扱い方がぞんざいであっても、案外に、細かいことに配慮して取引してくれるような人もいます。
 人を見分ける事の難しさは平蔵の経験があらゆる場を通して教えてくれています。
 
 

 

こんなよいとこ一度はお出で“吉備の中山”

2008-04-15 16:24:14 | Weblog
 ほとんどの桜は名残惜しそうに風に揺られて、段々とその数を減らしております。まさに惜春の候です。その桜に取って代わって木々の初々しい緑がお山全体を覆って冬のたたずまいから、あっという間の早業のごとくに衣替えをしました。

 若芽の新緑に誘われてではないのですが、お山にちょっと足を引き入れて見ました。まわりの橡などの大木等の下にそれでも懸命に生きている楓などの小さな木々が、それらの大木が葉を茂らせて、日の光を遮らない前に早々と出来る限りに葉を広げ、日の光を取り込んでいるいじらしいまでの姿を目のあたりにしながら登ります。日当たりのよいところに生えている楓とは違い沢山の葉を一杯に広げています。こんな木々も生きているのです。たらの木も棘だけを怒らせるようにして立っているのですが、如何せん、その芽が天麩羅にすると天下一品も食材になるということで、殆どの芽が切り取られて哀れな姿を空に曝しています。という私もひょっとしてと思って其処に行ってみたのですが。2,3日来の雨で谷川の水も適度に流れ、心地よい音を響かせています。男性的な音の場所、女性らしい響きに優しさのある場所、細谷川のそんな音を聞き分けながら、上を見て、下を見て、又、周りを見てたらの木も見ながら登ります。
 お山の中腹のあたりにもしかして蕨でもと思って捜してみたのですが、少々時期が早いのか、私の目が節穴なのか分りませんが、見つけることが出来ませんでした。そのかわり、そこら一帯にびっしりと柔らそうな蓬が生えていました。蓬団子でもと思いそれを家つとにしました。

 登り道の一箇所でこんな可憐なスミレも見つけました。
 ふと小学生の時教わった「春の小川」が頭の中に浮んできて、自然に歌声が口をついて出てきます。
  
  春の小川は、さらさら行くよ。
  岸のすみれや、れんげの花に、
  すがたやさしく、色うつくしく
  咲いてゐるねと、ささやきながら
 
 何歳になっても、何かの調子にふと無意識のうちに頭に浮び口ずさみます。歌って不思議なものですね。

金友写真館の吉備津寄席

2008-04-14 09:42:24 | Weblog
 昨日、神道山の桜並木を通り抜けました。殆どの木々が、まだ、一杯花びらを残したままで、行く春を惜しんでいるかのようにも見えます。
 それでも晩春です。時折吹く風に名残をとどめるかのように、花びらが空のキャンバスに波紋を描きこんでいました。道に溜まった花びらまでもが散り落ちた枝に向かって吸いつけられるように、散る花びらと交錯するように舞い上がり花の波紋を幾重にも重ね風と戯れながら、音無き滝となって落ち係り、春の最後の花の宴を繰り広げています。
 
 行く春を桜とともに惜しむかのように、夜、吉備津寄席が開かれました。
 本年で10回目だそうです。古今亭菊輔師匠の独演会です。毎回毎回違うネタを引っさげられての登壇です。
 吉備津の金友写真館さんのお骨折りで、生の話芸を楽しみます。目や口の動かし方、目の遣りどころ、体全体から醸し出される所作というか動作までつぶさにこの目の前で、直接見ることが出来るのです。体全体で演じられる日本の伝統ある芸ー話芸ーが噺を聞く事によってつぶさに感じられるのです。
 人の持つ可笑しさ滑稽さを体全体で聞かせてくれるのです。
 電車賃も何もいらないのです。わずかばかりのお金で済むのです。こんなに安価で、決して買う事が出来ない日本の宝物が年一回ではあるのですが、この吉備津でも、深く味わう事ができるのです。
 宣伝もしないので、そんなに大入り満員ではないのです。かえって、見るこちらから、これでは赤字になるのではと心配してあげているのですが、もう10年も続けられているという。
 また、こんな辺鄙な田舎にまできて、大して多くも無い聴衆に、お話を面白ろおかしゅう聞かせてくれる菊輔さんと言う芸人さんも“たいしたものだな”と、いつも感心しています。年々芸に幅が出来ているようです。うまさが飛躍的に付いてきているように感じられます。指先の一つの動きを見ても、そんな風に素人の私にでも感じられます。「風貌が芸を磨く」という事を何時だったか聞いた事がるように思いますが、まさにその通りだと思いました。話している最中の顔っ面がいいなあ。目じりがだっらと下がったな、あれがいいなと思いながら聞き入りました。
 人の風貌とは、腰の座る位置かな、それともそんな芸とは関係の無い時間のことかな、それとも顔にできる皺のことかいな、声の持つ幅かな、といろいろ思いながら、時間の経つのも忘れて話の中に吸い込まれていきました。
 いい人に来てもらって吉備津って街も、本当に「てえしたもんだ」「でえれすげえもんだ」とも思いました。
 
 

我家の初物ー筍

2008-04-13 14:24:15 | Weblog
 ここ吉備津でもお店屋さんに早々と筍が顔を出しはじめました。専門の業者しかと思っていたのですが、「ひょっとして我家の竹薮にも」と思い、覗いて見ました。
 年来の笹の落葉に覆われた藪一面にはそれらしい姿かありません。やっぱりちと早いかと、そこらかしこを見て歩きます。「ぐにょ」か、「こっそ」か、どう書き表していいのか分りませんが、優しい感じの物に、靴の底を通して足裏が当ります。「有った有った見つけたぞ」という楽しいようなうれしいような思いが体中を走り抜けます。

 初物というのは何でもいいものですね。小さいのや大きいのやらそれでも5、6本採れました。

おせん 10

2008-04-12 14:12:15 | Weblog
 平蔵の吉備津神社への参拝は、今までは、ただただ仕事一途で、他のことには一切振りもしないようにして生きてきた自分というものについて、ふと立ち止まって自分の仕事以外のことついても考えてみる必要があるのではないかという気持ちにさせてくれました。
 大旦那さんが「人の幅を広げろ」「商売からだけでなく他からも物事をよく見ろ」「心に余裕を持て」などと、我々奉公人によく言われていましたが、実際の所、どうしてかなとよく分らなかったのです。が、底なし沼の中に吸い込まれそううな心持に浸りながら、お園さんとたった二人きりで吉備津神社の回廊を歩いていて、どうしてかは分らないのですが、胸がきゅんとなり、仕事以外でこんな気持ちに今までなったことはなかったのです。
 すると自分の前が急にぱっと開け、今まで考えも付かなかったようなものが、何かは分らないのですが見えるような気分になるのです。胸の底から湧き上がる生きる喜びみたいなものが飛び出してくるように思えるのです。
 
 翌朝早く、備前で2,3箇、西大寺や長船などに立ち寄り、秋の買い付けなどの用を済ませてから大阪へ帰るということで、立見屋を出ました。何時ものように、お日奈さんが見送りに出てくれました。もう一度、お園さんに逢って、昨日のお礼を言ってからと、思っていたのですが、口にするのもなんだかちょっと気恥ずかしさというか、女の人に執心しているのかという疑いをお日奈さんにもたれるのがどうも少々気が引けるような気持ちになり、そんな自分にいい加減いやけを指しながらですが、そのまま宿を後にします。

おせん 9

2008-04-11 10:15:05 | Weblog
 入日に当る周りの木々の葉が遅い春の風に揺らめいて、回廊一杯に金や銀のつぶを振り回します。その金や銀の影の他には誰もいない、本当に静かな回廊を廻り二人は神殿に一歩一歩と歩を進めていきます。
 本殿の隅に立てかけられている案内書の前で、お園さんは立ち止まります。孝霊天皇の皇子吉備津彦命がお祭りされているお宮さんだとありあます。
「ここが拝殿です。折角ですので拝んでいってください」
 とお園さん。
 拝殿に昇った平蔵は両の手を合わせます。ふと頭の上を見上げます。そこには天井はなく、庇がそのまま屋根裏へと続き、豪壮な梁や柱が縦横に伸び、見る人をして何か威圧されるような不思議な感じさえ抱かせます。
 「不思議なお宮さんでしょう。祖母がよく聞かせてくれました」と、お園さんが又、話しだします。

 「その昔、京都のお公家さんの娘さんが、この神社には几帳などもあり、大変に珍しい貴族のお屋敷みたいなお宮さんだと、本に書いたのだそうです。なんとなくそんな感じもします。祖母に言わせますと、この辺りではちょっと風変わりなお宮さんなのだそうです」

 晩春の太陽がようやく山の端に沈み、心地よい涼風が拝殿の二人の間を通り抜けていきます。平蔵には何年振りかの宮参りでした。神頼みすることなど、これまで一度もなかったのです。
 静かに神殿に頭を垂れて、拍手を打ちます。その響きが高い天井まで届いて、荘厳なまでの静けさが辺り一帯に広がります。たった二人きりの静けさです。
 「ここの神様は戦さの神様だそうです。ご商売の神様とは違いますが、敵と戦う時には、必ず、お味方してくれると言い伝えられています。男の人には7人の敵がいると聞いております。ですから、その敵にきっと打ち勝つ事が出来るよう拝むのだそうです。今でもたくさんの人がいつもお参りしています」
 「敵ですか。打ち負かすより。敵がいなくなるような便利な神様はいないものでしょうか。いやこれは冗談ですが、ご利益をきっと授けてくれると思います。お園さんが案内してくれたのですから。でも、いいお宮さんに連れて来ていただけて、何か心が洗われたみたいに思えます。今まで一度も神様にお願いする事はなかったのです、今日は始めてお願いしました」
 「それはよかったです。ご案内させていただいて」
 そんな他愛もないことを話しながら、再び、帰りは怖いと、先ほど聞いた回廊の穴倉の中に入るように、二人は立見屋へ戻るのです。
 この宮参りがその後の二人の運命を左右することになるなどとは、その時は誰も思わなかったのです。

眞太朗の入学

2008-04-10 14:59:17 | Weblog
 愛子さまが今日学習院の初等科にご入学されたというニュースが流れています。ご立派にご成長されているお姿を拝見して、国民の一人としてうれしい気持ちがしています。

 さて、愛子さまと同学年の我家の孫眞太朗も、今日鯉山小学校へ入学しました。足の骨折が未だ治りきっていなくて、松葉杖をつきながらの登校でしたが、入学式を無事に迎えることが出来ました。
 朝から何べんもランドセルを背負ったり制服を着たり脱いだり、真っ白い制帽も被ったり脱いだりしながら、喜びを体中に現して登校の時間を待っていました。
 
 色々なそれこそこの子にしか味合えない事件がこれから多く待ち構えているに違いないのですが、どうぞ何事もなくそのたくさんの出来事を無事に乗り切ることが出来ますようにとお祈りしながら送り出したやりました

おせん 8

2008-04-07 10:55:25 | Weblog
 伸びた己の影を踏むようにしてお宮の鳥居をくぐります。両側にいる獅子と狛犬が二人を出迎えてくれます。ひだりにいる狛犬には珍しい一本の角まで生えています。
 「この角を撫でておけば願いが適うと言い伝えられております。私も子供の時はいつも撫でたものです。どんなお願いをしたかはもう忘れてしまったのですが。」
 「そんなに適うものなら、どれ」
 と、平蔵も小さな角を撫でます。お園さんはくすんと小さな笑みを浮かべながら「どんなおねがいをかけたのかしら」
 と問いかけます。
 それから長い回廊を通り神殿に向かいます。回廊の途中に、不思議な音が出る竈を二つ据えたお釜殿も見えます。ここには、桃太朗さんが退治した鬼のしゃれこうべが埋められており、今でも阿曽女が大切に守っているという。
 お釜殿のあたりから回廊はゆっくりとした坂になって上へ上っていきます。その坂を上がりきった所で、お園さんは立ち止まります。随神門という何か神々しい御門の下です。
 「ちょっとここから振り返って、今来た回廊を見てください。坂になっているために回廊が途中で消えているでしょう。ここには不思議なお話が残されています。私が小さい時、祖母から度々聞かされました」
 と、ゆっくりと話し出します。長い回廊ですが、お参りの人は誰も通ってはいません。西の山の端に沈みかけている夕べの陽の光が、周りの木々の間からきらきらと輝きながら回廊一杯に影と光の不思議な模様を作って浮き立っています。
 「ここから見ると回廊が途中で消えてなくなっているでしょう。その先が何処にあるのか、そのまま底無しの穴ぼこか何のようなものの中に、ずっと続いて何処までも何処までも落ちていくのではないかという心持ちに今でもなります。不思議なこの穴に吸い込まれるような思いに駆られるのです。私だけでかも知れませんが。・・・・・・・・・私の聞いた祖母のお話しを聞いていただけますか」・・・
 
 「一人の可愛らしい女の子がいました。母さんから作ってもらった手毬が女の子のたった一つのおもちゃだったのです。大切に大切に何時も一緒に遊んでいました。
 ある時、その子はその手毬を持ってお参りに行きました。その毬があまりにもきれいだったため、ここに住んでいた鬼は欲しくなり、どうにかして自分のものにしてしまおうと考えます。その毬を抱いて歩いてきた女の子に、この随神門に隠れていた鬼は「ばっあ」という大声を出して飛び出ます。女の子はびっくり仰天して、持っていた毬を手から落します。毬はころころころころと、この回廊を転げ落ちます。どんどんどんどん転げ落ちていって、ついに見失ってしまいます。女の子は悲しくてなりません。うおん、うおんと泣きながらそれでも消えた毬の後を何処までも追いかけます。そしてその女の子も毬と一緒にどこかへ消えていなくなったということです。
 この女の子の毬を追いかける悲しみの声が、お釜殿で鳴る竈の音になったのだとも言い伝えられています。が、今では、鬼の声の方が有名になり、女の子の追いかける悲しみの声の方はいつのまにか消えてしまい、誰もこんな言い伝えがあったということすら忘れてしまっています。・・・ここに立つといつも祖母から聞いたこの女の子のお話が思い出されて、底なし沼のような深い深い穴に吸い込まれるような気分になるのです。私には、ここはとっても怖い回廊なのです。帰りが怖い回廊なのです」
 平蔵には黙って聞いています、夕陽が真っ赤に辺りを染め出しました。大きな大きな手毬が穴の中に吸い込まれていったというのは、もしかしてあのお日さんのことではなっかたのかなとも思えました。
 
 
 

おせん 7

2008-04-06 09:38:43 | Weblog
 平蔵は、用意された膳の前に座って、床の間に活けてある遅い山桜を見ていました。風も何もないのですが、その一つの枝から、ひらりとたった一輪ですが花びらが黒柿か何かで出来ている床の框の上に散り掛かりました。箸を止め、茶碗を膝の上に載せたままでしばらくじっと感慨深げにその一輪の花びらを見ていました。お園さんも平蔵の視線に気が付いたのでしょう、ふと振り向きます。
 「あら、花びらが。・・・・此花が終わったら春がゐんでしまいます。お仕事がお済でしたら、吉備津様にでもご案内しましょうか。時々、うちのお客様に頼まれてご案内することがあるのです」
 「ああ、ご案内していただけますか。でも、私はぐずのほうですから書き上げるまでもう少し掛かると思いますが。出来上がったら声でも掛けます」

 そんな取りとめのないお昼の二人でしたが、平蔵の胸内に、急に、何か随分昔から知っているような暖かい親しみみたいなものがなんとなく湧いて来て、お日奈さんの「ええひとでーおよめにどう」と、言った言葉を思い出して、顔が赤らむように思えました。
 開け放たれた障子戸から入る風は爽やかに吹き来たります。
 食事が終わると、再び、机に向かいます。今年の作付けや取れ高見通し、更に、値動きの動静まであらゆる平蔵が歩いて集めた村々の備中綿に関する情報をこまめに書き記していきます。
 ちょっとした挨拶言葉の中からでも、綿百姓の持つ、もう何十年と代々積み上げられた冷たいまでに冷徹な彼らの直感的判断を見逃さないよう集めていかなくてはならないのです。
 こちらの話とあちらの話が全然異なり、どう判断すればいいのか迷うことがしばしばあるのです。が、そんな時一番頼りになるのは、ちょっとした立ち話し中から集めた情報なのです。往々にして彼らの話には、本当のことがごく限られた場面しかないのです。殆どがうそで固められているといっても過言ではありません。それは、彼らが常に支配者からの厳しい取立てにあっているからです。彼らが生きていくために、真実を語らない事がもっとも大切なの自衛のための生活手段だったのです。村全体、いや国全体とでも言った方がいいのかもしれませんが、百姓たちがみんなしてうその情報を一杯に流し、取立てをいくらかでも少なくすることにしか生き延びる方法がないのです。生きてはいけないのです。それでも役人の目を逃れることが出来ないという悲哀を一杯に背負って生きているのです
 そんな百姓の持つ宿命でもある悲哀を平蔵は十分知って生まれてきました。ひょんなきっかけで、この舟木屋での仕事に携わってからもう7、8年にはなるのですが、今でも、その時々の百姓の持つ本当の情報を掴み切ることは出来ないのです。でも、自分の判断の甘さがお店の大損害を生む基になります。それだけ慎重な調査ががいります。そのためには年季も、経験ですが、大切ななります。それは自分の目による判断こそが最も正しいということなのですが、この二つだけではどうしても正しい情報を手に入れることは出来ないのです。経験と感だけではどうしようもない世界なのです、人と人との突っ張り合いなのです。やっぱり最後は人柄が勝負を決めます。
「あのお人はええ人だ」
 と、いうことを知ってもらうしか方法はありません。それだけです。人の誠実さなのです。優しさなのです。それが信頼を生み、的確で正しい情報を捕まえることが出来るのです。
 「えぇつぁー、連島の百姓の子倅らしいけー我々百姓を騙したり馬鹿にしたりせんど」
 という噂話もこの誠実さとともに信頼を勝ち取ってきた原因があるようです。
 そのようにして集めた報告のための書類を平蔵は一日がかりで丁寧に書き上げてました。

 墨をする音がかすかに響き、障子に映った日の影が段々と、また、広がっていきます。ぼつぼつ街中の喧騒が始まる頃ですが、ここまでは届かないのでしょう静かな初夏の午後です。
 平蔵は書き上げた紙をまとめ、もう一度読み返します。ようやく今日の仕事は一段落です。後は、板倉にある飛脚屋の金友屋に頼んで、一日がかりでこさえた書類を大阪のお店まで送って貰うだけです。
 厠へと思っていますと、そこへお園さんです。
 「お出来になられたのですか。お疲れさんでした。本当に大変なお仕事ですね。ちょっと、お茶でも入れてきます」

 「善三郎さん、この包みを金友屋さんへお渡し願います。御寮さんが吉備津様へ案内してくださるそうですから、これから行って来ます。」
 と挨拶して、お園さんと連れたって立見屋を出ます。夕陽は西の山際に近づこうとしています。二人の影が石鳥居をくぐって、その向こうの山際まで伸びています。通りにはまだ人影はまばらですが、ヤクザっぽい人が2、3人、そんな二人に姦淫な眼差を送りながら通り過ぎていきます。

春爛漫の吉備津です

2008-04-05 19:31:25 | Weblog
 今日、高梁川を遡り、美袋までドライブしました。豪渓の辺りを過ぎると両岸の山々の桜が吉野山と身紛うまでの美しさを見せていました。
 帰って、吉備津神社の桜も満開だと聞いて出かけてみました。まっこときれいな自然のキャンバスです。
 たくさんの人出です。 
 「なんときれいなのだろう、初めて見た」
 と、口々に感嘆の声を上げていました。
 その写真を2、3枚どうぞ。
  


 実像だけで虚像には誰も目を留めようとはしていません。そこで、そっとシャターを押してみました、
 “上だけで、下を見ない人生なんて”
 と。

桜と水のうたを2,3首挙げておきます。
  ・枝よりも あだに散りにし 花なれば
           落ちても水の 泡とこそなれ    菅野高世
  ・桜ちる 水の面には せきとむる
           花のしがらみ 掛くべかりけり   能因法師
  ・常よりも 春べになれば 桜川
           波の花こそ 間なく寄すらめ    紀貫之



  水の面の 花びらの書く 流れ絵に
           過ぎにし日々の 思い出の浮き    美梁
         

おせん 6

2008-04-04 11:16:39 | Weblog
いつの間にか昨夜の墨絵は消えて、真っ白い障子に半分ぐらい晩春の朝の柔らかい日差しが映えています。
 「久しぶりにゆっくりさせてもろうた」と起き上がります。昨夜の障子に映った松はと、気にかかり、障子を開けます。
 庭に生えている赤松の大木がそこら中に枝を広げて仰々しく空に胸を張るように立ています。さすが松所だなと、思いながら腕を一杯に伸ばし大きく息を吸い込みます。大阪ではない宮内のなんともいえない風が心地よく胸の奥底まで入り込みます。
 そんな部屋の様子を察したのか、今朝はあのお日奈さんです。すっと何時ものように入ってきます。いつもながら何処となく亡き母のような心持ちにさせてくれるのが不思議です。
 「忙しかったんじゃとなー。えろう帰ってこんなあと、みんなしんぺえ(心配)しとったんでえ」
 「気ィつこうてもろうて、えろうすまんこちゃったなー。今年ゃ、お天道さんのご機嫌がようねえけんな」
 つい子供の自分に使っていた備中言葉が話の中に入り込みます。顔立ちにもその所作にまでにも母の面影を重ね合わせることができ、知らないうちに心が和みます。
 「それにしても、今年ゃ忙しかったでえ、仰山のお人がお見えでなあ。3年ぶりのお江戸の大歌舞伎があったけえなナー。嵐門三郎という役者は大したもんでえ、当代一とか言われるだけのことはあるよ。大勢ぇのお客だった。えらかったけどナー。平蔵さんも見えりゃよかたのになー・・。ちょっとは寂しい気がせんでもねえがこれで宮内もやっと静かにならー。」
 「でも、お日奈さんはお雛さんじゃけぇ、いつお祭りしてもろうとるけぇ寂しいこたあねえじゃろう」
 と茶茶を入れる平蔵です。
 「それはそうとお日奈さん。昨夜のお人は誰でぇ。いままで見たことがねえお人だったんで」
 「あの人。ここの娘さんのお園さんじゃが。もう3年も立つが、そうそうあんたも知っているじゃろう、倉敷の福井の庄屋さんのとけえお嫁に行かれとったんじゃが、お子がお出きんさらんで、お気の毒なことじゃが離縁されてしもうて、ついこねえだ、お戻りされだんじゃ。ええお人じゃけん、よけえに気の毒じゃとみんな言わりょんさったで」
 「あ、そおですか。この屋の御寮さんだったのですか。藤井先生とか何とか言っておられたし,立ち居振る舞いもただのお人とは思わなかったのじゃが」
 「まだ若けえのに、かえぇそうじゃろうが。どげんもんじゃろうかな。平蔵さんでもお嫁にもらわんか。ははは冗談冗談・・早よう朝ご飯をおくいんせえ」
 
 朝ご飯を済ませて平蔵は、たまっていた大阪へ報告する便りを整理しています。紙をかすれる筆の音と、時々擦る墨の音だけしか聞こえない物静かな春の日です。
 「それにしても、今年の出来具合は本当に悪いなあー。綿の相場はどうなるんじゃやろうか。」
 独り言がふと口を付いて出ます。それが合図であったのかは分りませんが
 「ごめんください。舟木屋さん。お昼です」
 と、朝方お日奈さんと話していたお園さんが、昼ご飯の用意をして入ってこられたのです。
 「随分とお忙しいのですね、ここらで一息お入れになられたほうがいいのとは違いますか。平蔵さん」
 
 「あ、今朝ほど聞いたのですが、お園さんですね。何か御寮さんに給仕させて悪うおますな。・・・どうもありがとう。やっと一段落したようです。余りよう慣れていないもんですから。いつも仕事が遅いといっては、お店の旦那さん方からお小言ばっかりもらいます。・・・・でも、この山桜はとってもきれいですね。昨夜(ゆうべ)あれから考えたのですが、桜を折るのは悪いことでしょうか。誰も見てない辺鄙な所で咲く桜は折られることによって人の目に触れられ、かえって、この桜のように、私みたいな者にですが、美しいきれいだと、言ってもらえて幸せなことではないのでしょうか」
 「まあ、そんなことをお考えになっていたのですか。つい変ことを言ったばかりに。ごめんなさいね。・・・・でも考えてみると、やっぱり桜は折られるより、例え、誰かに見られなくても咲いた所でじっと咲いておるほうが、私には満足なのではないかと思われます。よう分りませんがやっぱり折るのはいけないことだと思いますは。・・・まあ、そんなことはどうでもいいじゃありませんか。ぼつぼつ食事にしませんか」
 「では頂きます。・・・考えてみると桜もそうですが人が見て始めてきれいだとか言われるのです。人のためにあるようなものではないですか。だったら、折られるほうがかえって人のためになるのではないでしょうか。そのほうがやっぱりいいのと違いますか」
 「そんむずかしいことは私には分りませんが、昔、祖母が生きていた時に聞いたのですが、桜に咎があるといったお人がお出でたということでしたが、折る折らないということに何か関係があるのかもしれません。今そんなことをふと思ったのですが、でもやっぱり折るのはいけないと思います」
 

おせん 5

2008-04-03 09:57:32 | Weblog
 2、3日後と、立見屋に告げて出て行った平蔵でしたが、今年は遅霜やいわしの不漁などによって綿の買い付けの交渉などに平年に比べ随分と手間取ります。やっと宿に立ち戻ったのは、宮内の桜も殆どが散ってしまい、歩いていても薄らと汗が額に浮き出る初夏の香りをほのかに匂わせ出した10日も後の夕方でした。
 偶然に出迎えたお園さんも、平蔵の顔があまりにも黒くなっているのを見て驚いた様子でした。
 「遅くなりました。ご心配をお掛けしました。あ、山桜ですか。まだ、こんなにきれいに咲いているのもあるのですね。・・・・そう言えば、今年の桜もゆっくりと見る暇もなく、あっという間に風が私の春を持って行ってしまったようです」
 と、足濯ぎを済ませて部屋に入り、床に活けてある青色の花瓶の桜に目をやりながら独り言のように呟きます。
 「今日、向山にある祖母のお墓にお参りしてきました。其処にあった桜が、他の木の花はもうとっくに散ってしまっているのに、ここの桜だけがまだ咲いているのです。その花が、あまりにも愛しく、つい心なしか折ってまいりました。これしかない桜を折ったりして私の心には悪い心が住み付いているのでしょうかね。・・・ごめんなさい。つい変なことお話して。さそく食事の用意をしてまいります。その間に、お風呂でお入りになって旅の汗でもゆっくりとお流しくださいな」
 と、部屋を出て行きます。
 
 平蔵は、活けてある桜の花を見ながら、春のさくら待ちわびて、花見にうつつを抜かして騒いでいる人たちのように、今までに桜見学をしたことが何回あっただろうかと思いました。
 物心が付いた時分から家が貧乏ということもあったのですが、それよりも、この時期は、苗代の準備や綿を始め畑作物の種物の植え付けなどの仕事が忙しくて百姓にとっては花見どころではないというのが本音だと思いますが、世間並みの花見をするなどという習慣すらあるということも知らないように過ごしてきました。

 床に活けてある逡巡とした山桜を、今更のように眺めていました。桜を折るということが、お園さんが言うように、いいことか悪いことかは知りませんが、自分みたいなあまり桜を知らない者にとっては「なんと美しく初々しいのだろう」と、ある種の恐ろしさのような、えも言われない心の疼きのようなものが、その桜の中から自然に移り伝わってくるように思えました。
 源氏とか何かと言うものをお読みのお店のご隠居さんがよくお口にされる「なまめかしく、ろうたげ」とか言われているのは、こんな心持ちかなとも思ったりもしました。
 風呂から出ると食事の用意が整っていています。
 「吉備津様のお祭りもようやく終わりが近づいています。やっとお客さんから解放され、みんなやれやれ、今年も春が終わったと心のうちで安堵しているようでございます。江戸歌舞伎も10日間の興行で、嵐門三郎もみんな江戸へお帰りでした。後は富くじやらなにやらが残っているだけのようですよ」
 「それにしても、今頃桜とは遅いですよね」
 「はい、一本だけ祖母のお墓の上に咲いているのです。毎年、遅そ桜遅そ桜とこの辺の人も咲くのを楽しみにしています。他にない1本だけの特別な桜ですから、この時期に吹く風を『桜風』と呼んで、この風が何時吹くんじゃろうかと、いつも心を痛めているようです」
 「そんな特別な桜ですか。そんなことを聞いて、何かよう分らんのですが、こうしてつくづくと眺めていると、きれいだというより心がぎゅっと締め付けられるようなうら悲しいような不思議な気分にしてくるようじゃなあ」
「まあ、うら悲しいなんて藤井の先生様みたいなことを言われますこと。・・・そうですね。よく考えてみたら、さくらは、お客さんがいわれるように寂しい心にもさせてくれます。どうしてでしょう」

 今まで、こんな一つことについて深く考え、人と、それも女の人と、話したことはなかったのです。
 たった25年しか生きてはいないのですが、平蔵には、今という時が、これまで過ごしてきた時の中で、「自分は、今、生きている」ということを実感としてひしひしと感じていました。こんな自分もここにいたのかと、活けられた折られた桜の中から思えるのでした。青い花瓶と山桜の花びら一枚一枚が部屋の行灯の薄暗い光のなかで光っています。お園さんの顔も桜の中に解け込んでしまったように思えました。
 「桜って本当に不思議な花ですね。お客さんとこうして話していて初めてさくらが愛おしく思われました、でも、もう桜もおしまいです。お人たちの話の中から桜という言葉は来年の春まで消えてしまいます。この山桜を最後にして。偉そうですが、そう考えると人が生きるということは何でしょうかね」
 こんなに話しながらゆっくりと食事を取ったことは、平蔵にとって初めてのように思われました。
 
 お園さんが言ったように祭りの客もすくなくなったのでしょう。来た時早々のあの喧騒はもう何処にも残ってないようです。でも、時々往来の方で大声で騒ぐ一団の声々も部屋に伝わってきて、祭りの後のわびしさがここかしこに感じられます。
 「一日明日は、ここでお店への報告を書きますのでよろしくお願いします」
 と、旅の疲れもあるのでしょう早々と床に入ります。
 障子には晩春の朧月が松の影を黒々と写し出しています。その影を見ながら、さくらの木を折るのは人の心が悪いからだと言った先ほどのお園さんのことが気になって仕方ありませんでした。
 
 

おせん 4

2008-04-02 10:37:39 | Weblog
 翌朝の6つ半頃平蔵は立見屋を出ます。
 「今日は備中玉島辺りまで行きます。2,3日はあちらで用が待っていますので、こちらに戻るのは明後日あたりになると思います。もし、大阪から私宛の飛脚が届きましたら、そのままとっといてえよー」
 と、わらじの紐を結びながら平蔵は、見送りに出た何時もの係りのお日奈さんに備中言葉を交えながら言うと、足早に山陽道を西に向かって出で発ちます。
 朝霞が吉備のお山に立ちこめて、千歳の松の深き色も桜色したのどかなる春の色もすべてを包み込み、遅い宮内の春景を薄ぼんやりとした白色の中に仕舞い込んでしまっています。その霞の中からまだき朝のおぼろげなる光とともに、雀の声でしょうかちゅちゅちゅうちちをせわしげに聞こえて来ます。「お気を付けられて、お早いお帰りを」とかなんか言っているお日奈さんの声すらもこの朝霞は霞ませているようです。
 昨夜の喧騒がうそのようです。一匹の犬が、足早に霞む町影の中に立つ石の鳥居の方へ駆け抜けていきます。霞と雀の他は、町はまだ完全に眠っています。
 

4月1日、「うづき」です。

2008-04-01 11:33:18 | Weblog
 今朝は吉備津神社の1日参り『朝詣会』です。
 孫達と相連れだって賑やかにと、思ったのですが、春休み中で「朝寝坊をした」とかなんとかで、妻と母と3人で寂しくお参りしました。
 昨日に続いての花冷えの朝です。吉備津神社の周りの桜の花も咲き初めたままで、顔を覗けようかどうしようかと辺りを見渡したり、また、引っ込めたりしているようです。その花びらを思いやるかのように、拝殿での神官の声が化粧天井に冷たく響いています。
 暖かい食事場所で朝食を頂いているのですが、それでも何か心が芯から温かくならないような4月1日です。ドカンとものすごい『4月馬鹿うそ』でも聞きたいような気分にもなります。

 まあ、兎も角、今日から4月です。4月の異名を『年中行事考』という本から拾い集めてみました。
 卯月から始めます。餘月、首夏、中呂、清和、維夏、朝月、小満、純陽、乾月などと言うわけの分らん漢字が並んでいて、どうでもいいのですが、花残月なんて粋な言葉も見えます。
 それはそうとして、この2,3日の気候は異常ですね。「炉を塞ぐ」と、いう言葉もありますが、かみさんは「石油は、今日からいくら安くなるのでしょうね」とかなんとか、言いながら、ストーブに灯油を入れていました。
 
 天候も時勢も何かへんてこりんな、面白くも何もない今年の4月1日ですね。

 今朝も竜神池の枝垂桜を見てると、それだけが浮世から隔離した粋の世界に引き込んでくれるようで心和みます。


 秀吉の甥で江戸初期の有名歌人であった木下長嘯子が、水攻めの10年後1592年吉備津を訪ねて一夜神主の家に留ったという日記が残っているそうです(「吉備津神社」藤井駿著)が、この人は桜を好んでたくさん歌に残しています。そのうちの二首。

    ・みるからに まずぞなぐさむ 憂世には
            外ありけりと さける花かな

    ・ふけばかつ 花をさかすが うれしさに
            憂きはそひても ちらす風かな