私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

こんなよいとこ一度はお出で“吉備の中山”

2008-04-15 16:24:14 | Weblog
 ほとんどの桜は名残惜しそうに風に揺られて、段々とその数を減らしております。まさに惜春の候です。その桜に取って代わって木々の初々しい緑がお山全体を覆って冬のたたずまいから、あっという間の早業のごとくに衣替えをしました。

 若芽の新緑に誘われてではないのですが、お山にちょっと足を引き入れて見ました。まわりの橡などの大木等の下にそれでも懸命に生きている楓などの小さな木々が、それらの大木が葉を茂らせて、日の光を遮らない前に早々と出来る限りに葉を広げ、日の光を取り込んでいるいじらしいまでの姿を目のあたりにしながら登ります。日当たりのよいところに生えている楓とは違い沢山の葉を一杯に広げています。こんな木々も生きているのです。たらの木も棘だけを怒らせるようにして立っているのですが、如何せん、その芽が天麩羅にすると天下一品も食材になるということで、殆どの芽が切り取られて哀れな姿を空に曝しています。という私もひょっとしてと思って其処に行ってみたのですが。2,3日来の雨で谷川の水も適度に流れ、心地よい音を響かせています。男性的な音の場所、女性らしい響きに優しさのある場所、細谷川のそんな音を聞き分けながら、上を見て、下を見て、又、周りを見てたらの木も見ながら登ります。
 お山の中腹のあたりにもしかして蕨でもと思って捜してみたのですが、少々時期が早いのか、私の目が節穴なのか分りませんが、見つけることが出来ませんでした。そのかわり、そこら一帯にびっしりと柔らそうな蓬が生えていました。蓬団子でもと思いそれを家つとにしました。

 登り道の一箇所でこんな可憐なスミレも見つけました。
 ふと小学生の時教わった「春の小川」が頭の中に浮んできて、自然に歌声が口をついて出てきます。
  
  春の小川は、さらさら行くよ。
  岸のすみれや、れんげの花に、
  すがたやさしく、色うつくしく
  咲いてゐるねと、ささやきながら
 
 何歳になっても、何かの調子にふと無意識のうちに頭に浮び口ずさみます。歌って不思議なものですね。