私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

おせん 16

2008-04-23 17:19:00 | Weblog
 山陽道の飄逸とした二人旅です。何時までという時間が限定されてない旅なのです。それまでの平蔵の旅は、決して物見遊山の旅ではありませんでした。お薗さんに案内しても行った吉備津神社詣でも平蔵にとっては、舟木屋に奉公に上がってから初めてのことでした。
 「あほやなー。たまには気ィ抜いて、仕事の事忘れんと・・・のんびりいきまひょ」
 大旦那様は言いはります。
 でも、この金毘羅参りの旅は至って気楽ですが、それでも何処かに何かが引っかかるような自分だけこんなに楽をさせてもろうていていいのかなという後ろめたさみたいなものが心の隅にある旅でもあったのです。
 「ひとつ円教寺さんにでもお参りしみまひょ」
 と、姫路のご城下に入ると言われて、すたこらと書写山の方へ進まれます。
 大旦那様のお話ですと、このお寺には、弁慶が修行したという言い伝えも残されており、
 「人は円く円く生きなさいと、教えてくれはるお寺どす。平どんにはちょうどいいお寺どす。まあ参ってみまひょ」
 と。ゆっくりお山に上ります。
 お山に参詣した後、二人は播磨から備前の国に入ります。
 日中はまだまだ残暑が厳しいいのですが、それでも、船坂峠付近にに差し掛かると西の端に沈みかけた秋の真っ赤な夕陽が洩れている木立の間から、「かなかなかなかな」という涼しげな蜩の声がしきりに騒ぎたち、なんとなく秋の旅愁を感じさせているようでもありました。
 この峠も今までに何度となく通って来たのですが、今日みたいに蜩の鳴く声がこんなに侘びしく、胸を突くように聞こえるものかということを始めて知りました。心の持ちようで人の心がこんなにも変るのかとも驚いてもいます。