私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

おせん 15

2008-04-20 12:57:37 | Weblog
 「直ぐに大旦那はんにご挨拶を」と、いう旦那様のお言葉にしたがって、その足で大旦那様の所に伺います。
 相変わらずたくさんな書物に囲まれて、床には、相変わらず、あのミミズが這ったような、どうしてこんなものが掛け軸になるのかと思うようなものが掛けてあります。
 でも、この部屋には入ると、どうしてか分らないのですが、何か随分と緊張してしまうような不思議な力に体全体が包まれ小さく畏まっています。
 「この度はご苦労な役目を押し付けられたようじゃのう」
 お読みかけの書物を脇にお置きになられて、これもまた例のお茶の道具を引き出されます。
 「さあ、何時からでかけるかじゃて。そうそう、お園さんとかいわはりましたかのう、あれからどうしておる。文でも出したかのう」
 ここでお園さんの事が出てこようたは思いもよらなかったので、急に顔がなんとなく赤くなるように思われました。
 なんだか暦みたいなものを見ておられたのか、旅の大安が、明後日、明けの6つ時という事だそうです。遽しい旅立ちになります。
 山陽道を西に、備中宮内の吉備津様にお参りして、それから金毘羅へというお決まりの道筋の、陸路での旅です。御寮さんは、大坂からの船旅をしきりに進めるのですが、大旦那はんが
 「足があるのやさかい、足を使わせてもらう」
 と言われて山陽道を西へ下ります。昔から慣れている旅路だということで、
 「陸路の方が気ィ使かわんでええ。気楽に金毘羅はんにお参りさしてもらうさかい。・・この度の旅は特に若いもんが付き添ってくれはるよって、心配は無用、無用」
 と、気丈夫な出で立ちでした。
 夏から秋へとの季節の変わり目、周りの海や山々の景色の変わりようも絶好の旅日和になると大満足そうな旅発ちでした。
 「お園さんにも、いや立見屋さんにもお世話なるさかいと、知らせてある」
 どうして、何度もお園さんという言葉が大旦那様の口から飛び出すのか分りませんが、こんなにもお側近くいて、大旦那様と話すことなどこれまではなかった平蔵には、その人の心を包み込んでしまうようなおおらかなお人柄にも触れ、気を引き締めてお供をしなくてはならないという気が強くなる、西への旅でした。
 布引の滝に立ち寄り、明石の君のお話を、また、淡路島を左手に進み、須磨の関守についても語り聞かせてくださいます。
 この道は幾度となく上り下りと平蔵は通っているのですが、そんな話が残っているなんてついぞ知らなかったのです。そんな心の余裕を持った旅ではなかったのです。
 このように、この度の大旦那様のお供の旅は、今までとは随分と違った旅になりました。大旦那様のお供をさせていただいたおかげで、学問をする事が、何かものを見る自分の目を広げることにもなるのではないかということに気付かせてくれました。
 大旦那様はいつも、
 「商売をするにしても何をするにしても、人の幅を広げろ、広げろ」
 と、これまでもいつも言われていたのですが、この大旦那様と話していると、自然にその人に何か引き付けられるような不思議な人の魅力というのでしょうか、信頼感というか父親のような力強ささへ感じずにはおれません。その人を引きつける力が、大旦那様の言われる「人の幅」かなとも感じられるます。どうすれば人に付くのかは分りませんが、学問をすると簡単につくということでもないように思われます。ただ本を読んでおればいいのだということでもないようにも思えます。
 大旦那さんの言われる、人の幅を広げることがこれからの平蔵の行き方として大切なものではないかということがなんとなく感じられるように思われて仕方ありません。