私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

おせん 18

2008-04-27 17:06:37 | Weblog
 船坂峠で聞いた、あの旅に出た時だけにしか感じられない、なんともわびしげな蜩の声は、吉備の中山ではどうしてだか分りませんが聞こえてきません。その蜩の声の代わりに「じーじー」と、頭の先にがんがんと打ち響くような、これもやはり蝉の仲間でしょうかしきりに鳴いています。
 お園さんも階下に下りてゆかれ、部屋には平蔵が一人だけぽつんと取り残されたように座っています。夕方近くに自分が唯一人ぼんやりと部屋の中で無為に過ごす事は今までにありませんでした。だから余計に時間をもてあましているのです。
 部屋の下の道からでしょうか犬がしきりに吼えています。明かりを入れるにはまだ少しばかり早やすぎます。
 「何か起きたかな」
 と、立ち上がり出窓の桟に腰掛け辺りを見回します。丁度、平蔵の座っている出窓の桟の真向かいの空に、それでもまだ夕焼けの薄赤を残したおにぎりの様な三角のお山が立っています。そんなお山がこの宮内あったということすら今までは見過ごしていました。今、改めて目の前にあるこのお山を見ると、なんだか分らないのですが心がすーとその山のてっぺん付近に引っ張り込まれてしまいそうな不思議な感覚に陥ります。お園さんが、いつか話してくれた吉備津神社の長い回廊の中に吸い込まれそうになるという感覚と同じなのかなと思いました。
 静かに暮れなずんでいく宮内の街に一つまた一つと、ぽつりぽつりと店先の提灯に明かりが入るのが向こうに見えます。喧騒な華街の店開きが始まろうとしています。
 一番星でしょうか。おにぎり山の上にちかちかと輝きだしましす。
 時折、「おや秋かな」と思わせるような涼しげな柔らかい山風も吹き下りて出窓の桟の辺りを通り過ぎ部屋に入ってはきますが、まだまだ、備中名物とまでに謳われた「夕凪」のねっとりとした暑さが部屋の中に満ちています。
 この立見屋は宮内の華街からは少しばかり離れた高台の上にあります。
 「お火をつけます」
 と、お園さんが、再び部屋に上がってこられます。
 「其処から何がお見えです。姐さん達のお出ましには少々早すぎます。ぽつりぽつりと街に明かりが付いて行くのを眺めていますと、私もあんなところで働いてみたいとも思うのですが。・・・・・でも、あの明かりは唯きれいなだけではありません、人の欲が一杯に詰まった、どすぐらい明るさだと人様から聞いております。この前も、何時だったか忘れてしまったのですが、あそこの一人の若い女のお人が、お滝さまの崖の上から身を投げて可愛そうにお亡くなりになられました」
 「あのお山を見ていますと、おにぎりのてっ辺の辺りから人を吸い付けるような不思議な力が出ているのではないかと、段々とその色を変えていく夕暮れのお山をみながら思っていました。もしかして、この前、お園さんから聞いた手毬と少女の話も、あのお山が吸い寄せるたのではと思っていた所なのですいたのです。もしかしてその女の人も、あのお山が吸い寄せたのではないでしょうか」
 「そうですか。そんなことをお考えになっておられたのですか。・・・・この辺り一帯は人の目では見ることが出来ない不思議な力が到る所にあるのだそうです。竜神池のみさきもそうです。お山の上にある鏡岩も吉備津彦命のお墓もそうです。山にある円形に並んだ岩だってそうです。得体の知れない力がそこらじゅうを飛びまわっていると言い伝えられています。その得体の知れないものに掴まると人はどうあがいても、その力から抜けきることはできまいのだそうです・・・・・あらまあ、とんだお話になりました。そんなことは、この辺りの単なる言い伝えです。平蔵さんには信じてもらえないとは思いますが」
 「いや、所によって言い伝えも色々違っていますが、私の生まれた連島あたりでも先ほどお園さんが言われたみさきの話もあります。河童みたいなもので人の足を引っ張って水底に連れ込むのだそうです。どんどという水の落ちている所に住んでいるとも言われています」
 「あらいやだ。平蔵さんと居ると、どうしてこんな話ばかりするのでしょうね変な私でしょう。でも、あのおにぎり山は飯山といい、祖母は、あそこは、昔から、天から下りられた神様がいらっしゃる尊い所だ、人は決して上ってはいけない所と、言っていました」