私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

おせん 9

2008-04-11 10:15:05 | Weblog
 入日に当る周りの木々の葉が遅い春の風に揺らめいて、回廊一杯に金や銀のつぶを振り回します。その金や銀の影の他には誰もいない、本当に静かな回廊を廻り二人は神殿に一歩一歩と歩を進めていきます。
 本殿の隅に立てかけられている案内書の前で、お園さんは立ち止まります。孝霊天皇の皇子吉備津彦命がお祭りされているお宮さんだとありあます。
「ここが拝殿です。折角ですので拝んでいってください」
 とお園さん。
 拝殿に昇った平蔵は両の手を合わせます。ふと頭の上を見上げます。そこには天井はなく、庇がそのまま屋根裏へと続き、豪壮な梁や柱が縦横に伸び、見る人をして何か威圧されるような不思議な感じさえ抱かせます。
 「不思議なお宮さんでしょう。祖母がよく聞かせてくれました」と、お園さんが又、話しだします。

 「その昔、京都のお公家さんの娘さんが、この神社には几帳などもあり、大変に珍しい貴族のお屋敷みたいなお宮さんだと、本に書いたのだそうです。なんとなくそんな感じもします。祖母に言わせますと、この辺りではちょっと風変わりなお宮さんなのだそうです」

 晩春の太陽がようやく山の端に沈み、心地よい涼風が拝殿の二人の間を通り抜けていきます。平蔵には何年振りかの宮参りでした。神頼みすることなど、これまで一度もなかったのです。
 静かに神殿に頭を垂れて、拍手を打ちます。その響きが高い天井まで届いて、荘厳なまでの静けさが辺り一帯に広がります。たった二人きりの静けさです。
 「ここの神様は戦さの神様だそうです。ご商売の神様とは違いますが、敵と戦う時には、必ず、お味方してくれると言い伝えられています。男の人には7人の敵がいると聞いております。ですから、その敵にきっと打ち勝つ事が出来るよう拝むのだそうです。今でもたくさんの人がいつもお参りしています」
 「敵ですか。打ち負かすより。敵がいなくなるような便利な神様はいないものでしょうか。いやこれは冗談ですが、ご利益をきっと授けてくれると思います。お園さんが案内してくれたのですから。でも、いいお宮さんに連れて来ていただけて、何か心が洗われたみたいに思えます。今まで一度も神様にお願いする事はなかったのです、今日は始めてお願いしました」
 「それはよかったです。ご案内させていただいて」
 そんな他愛もないことを話しながら、再び、帰りは怖いと、先ほど聞いた回廊の穴倉の中に入るように、二人は立見屋へ戻るのです。
 この宮参りがその後の二人の運命を左右することになるなどとは、その時は誰も思わなかったのです。