私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

おせん 6

2008-04-04 11:16:39 | Weblog
いつの間にか昨夜の墨絵は消えて、真っ白い障子に半分ぐらい晩春の朝の柔らかい日差しが映えています。
 「久しぶりにゆっくりさせてもろうた」と起き上がります。昨夜の障子に映った松はと、気にかかり、障子を開けます。
 庭に生えている赤松の大木がそこら中に枝を広げて仰々しく空に胸を張るように立ています。さすが松所だなと、思いながら腕を一杯に伸ばし大きく息を吸い込みます。大阪ではない宮内のなんともいえない風が心地よく胸の奥底まで入り込みます。
 そんな部屋の様子を察したのか、今朝はあのお日奈さんです。すっと何時ものように入ってきます。いつもながら何処となく亡き母のような心持ちにさせてくれるのが不思議です。
 「忙しかったんじゃとなー。えろう帰ってこんなあと、みんなしんぺえ(心配)しとったんでえ」
 「気ィつこうてもろうて、えろうすまんこちゃったなー。今年ゃ、お天道さんのご機嫌がようねえけんな」
 つい子供の自分に使っていた備中言葉が話の中に入り込みます。顔立ちにもその所作にまでにも母の面影を重ね合わせることができ、知らないうちに心が和みます。
 「それにしても、今年ゃ忙しかったでえ、仰山のお人がお見えでなあ。3年ぶりのお江戸の大歌舞伎があったけえなナー。嵐門三郎という役者は大したもんでえ、当代一とか言われるだけのことはあるよ。大勢ぇのお客だった。えらかったけどナー。平蔵さんも見えりゃよかたのになー・・。ちょっとは寂しい気がせんでもねえがこれで宮内もやっと静かにならー。」
 「でも、お日奈さんはお雛さんじゃけぇ、いつお祭りしてもろうとるけぇ寂しいこたあねえじゃろう」
 と茶茶を入れる平蔵です。
 「それはそうとお日奈さん。昨夜のお人は誰でぇ。いままで見たことがねえお人だったんで」
 「あの人。ここの娘さんのお園さんじゃが。もう3年も立つが、そうそうあんたも知っているじゃろう、倉敷の福井の庄屋さんのとけえお嫁に行かれとったんじゃが、お子がお出きんさらんで、お気の毒なことじゃが離縁されてしもうて、ついこねえだ、お戻りされだんじゃ。ええお人じゃけん、よけえに気の毒じゃとみんな言わりょんさったで」
 「あ、そおですか。この屋の御寮さんだったのですか。藤井先生とか何とか言っておられたし,立ち居振る舞いもただのお人とは思わなかったのじゃが」
 「まだ若けえのに、かえぇそうじゃろうが。どげんもんじゃろうかな。平蔵さんでもお嫁にもらわんか。ははは冗談冗談・・早よう朝ご飯をおくいんせえ」
 
 朝ご飯を済ませて平蔵は、たまっていた大阪へ報告する便りを整理しています。紙をかすれる筆の音と、時々擦る墨の音だけしか聞こえない物静かな春の日です。
 「それにしても、今年の出来具合は本当に悪いなあー。綿の相場はどうなるんじゃやろうか。」
 独り言がふと口を付いて出ます。それが合図であったのかは分りませんが
 「ごめんください。舟木屋さん。お昼です」
 と、朝方お日奈さんと話していたお園さんが、昼ご飯の用意をして入ってこられたのです。
 「随分とお忙しいのですね、ここらで一息お入れになられたほうがいいのとは違いますか。平蔵さん」
 
 「あ、今朝ほど聞いたのですが、お園さんですね。何か御寮さんに給仕させて悪うおますな。・・・どうもありがとう。やっと一段落したようです。余りよう慣れていないもんですから。いつも仕事が遅いといっては、お店の旦那さん方からお小言ばっかりもらいます。・・・・でも、この山桜はとってもきれいですね。昨夜(ゆうべ)あれから考えたのですが、桜を折るのは悪いことでしょうか。誰も見てない辺鄙な所で咲く桜は折られることによって人の目に触れられ、かえって、この桜のように、私みたいな者にですが、美しいきれいだと、言ってもらえて幸せなことではないのでしょうか」
 「まあ、そんなことをお考えになっていたのですか。つい変ことを言ったばかりに。ごめんなさいね。・・・・でも考えてみると、やっぱり桜は折られるより、例え、誰かに見られなくても咲いた所でじっと咲いておるほうが、私には満足なのではないかと思われます。よう分りませんがやっぱり折るのはいけないことだと思いますは。・・・まあ、そんなことはどうでもいいじゃありませんか。ぼつぼつ食事にしませんか」
 「では頂きます。・・・考えてみると桜もそうですが人が見て始めてきれいだとか言われるのです。人のためにあるようなものではないですか。だったら、折られるほうがかえって人のためになるのではないでしょうか。そのほうがやっぱりいいのと違いますか」
 「そんむずかしいことは私には分りませんが、昔、祖母が生きていた時に聞いたのですが、桜に咎があるといったお人がお出でたということでしたが、折る折らないということに何か関係があるのかもしれません。今そんなことをふと思ったのですが、でもやっぱり折るのはいけないと思います」
 


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