私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

おせん 20

2008-04-29 09:12:28 | Weblog
 いつのまにかお山で鳴いていたじーじじーという蝉の声も消え、遠くの街並みの中から人の笑い声なども聞え喧騒の始まりを告げているようです。そんな街に目をやりながら、お山の七変化と言ったお園さんの言葉が頭に浮び後ろを振り向きおにぎり山を見ます。
 そのお山も、いつの間にか今まで全体を包んでいた江戸紫とでも言った方が確かだと思えるような紫色はきれいに掻き消されて、代わってぼんやりとした空の明かりを受けた真っ暗ではないのですがやや薄い白色ががった、ほんの一時だけしか見せない神さまがお作りになったとしか言いようのない、あるようでないような色を見せています。これも、かって同郷の紺屋の奉公にあがっているの三吉から聞いたのですが、確か、銀ねずみ、と、いったと思うのですが、それに近いような色を見せています。
 その銀ねずみに代わったおにぎり山のてっぺん辺りの空も、夕焼け色から何時の間にやら瑠璃色に変っています。つい先ほどまでは、たった一つ、夕焼け雲の上で一番星が大きく輝いていたのですが、瑠璃色に代わった空には、今では天の川でしょうか無数の星が、あるものは大きくあるものは小さく、ちかちかと光を投げかけながらまばたいています。
 こんなにゆっくりと暮れゆく空の星をを飽かず眺めたのも生まれて初めてのような気もします。旅という侘しさががさせたものか、宮内の喧騒を忘れさせるかのように慎ましやかに建っている、立見屋という宿がさせたものか、それとも、お園さんの何処となく憂いを残しているような話し振りがさせたものかは平蔵自身にも分らないこのですが。
 その時です。お園さんの足音とは違った、足早などたばたとした小忙しい足音を響かせながらお日奈さんが上がってきました。
 「平蔵さん。そげんなとけえ、こしゅうかけて、なにゅうしょんでー。どうしたんでー」
 出窓の桟に座っている平蔵を見て、いつものお国言葉のお日奈さんです。
 「はよーいこうやー。舟木屋の大旦那さんが、平どんを連れてけぇと、よびょうてでー。なにゅうしょん、はようはよう」
 しきりに急かします。
 「どんなご用があるのだろうか」
 と、訝る平蔵を他所に、お日奈さんは、せかせかと階段を下ります。平蔵もそんなお日奈さんを習うかのように足早に、それでもすり足で後を追います。