私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

岡部伊都子さん逝く

2008-04-30 21:51:05 | Weblog
 今朝の新聞報道によると、岡部伊都子さんが死去されたという。
 もう大分前のことですが、文化勲章を受章された岡潔さんと対談した記事が新聞だったか、週刊誌だったかは忘れたのですが、写真つきて掲載された事がありました。私はその写真を見て、これこそ、これもまた非常に尊敬している岡先生には誠に気の毒だったのですが、「美女と野獣」だなと、強く印象に残ったことがありました。それ以後、私は岡部さんのフアンであり続けました。ラジオ放送などでお聴きする、岡部さんのきれいな、柔らかな京言葉の響きとともにやわらな文に魅了されどうしでした。

 「優しい出逢い」という本の中から、岡部さんの一文を載せ、あわせて、ご冥福をお祈りします。

 “この五月、道ばたで摘んできた一本の穂たんぽぽを、卓上に置いて、毎日チラチラ見ていました。
 自然の穂たんぽぽの透かしのきれいさ、繊細さ。はじめは口でふっと吹いても、飛ばずにしっかりついていたたんぽぽの種は、花芯からあふれだすように盛りあがってきて、おのずから種を落します。こういう時、風があれば、風にのるんですね。りっぱないのちのあふれかたでしょう。
 「どうして人間は、人間だけがえらいと思ってきたのかしら」”
 

 ほのぼのとしたお優しい読んで安心感が漂うような文章でしょう。お書きになっていらっしゃる文総てに渡って、岡部さんの美しく気高い研ぎ澄まされている心がそのままに現されているように思われます。
 特に、日本語の中で、句読点を、これほど巧みに使われる書き手は、岡部さんを置いて他には居ないのではないかとも思われます。

 安らかにお眠りくださいませ。

おせん 21

2008-04-30 15:24:17 | Weblog
 大旦那様はにこにこ顔で立見屋のご主人夫妻と、それと思いも及ばなかったお園さんまでいて、なにやら和やかに話されています。
 「おお、平蔵さん、まあ其処へ座らせてもらいなはれ」
 部屋に入ると大旦那様。
 「そんな端近くでなく、もっそとこちらへ。・・・ようお出でくださった。舟木屋さんと御一緒に金毘羅さんまで大変な旅ですなー。お疲れでしょう。でも、ここから金毘羅さんまではあとほんの少しです。吉備津様にお参りしてから、一日あればもう四国の金毘羅です」
 と、平蔵が両膝を立てて、その場に座ると、立見屋のご主人もにこやかに話しかけてくれます。
 「そうそう、話し込んでいたため、まだ夕ご飯がまだでしたはね。お客さんに、こんなに遅くまで待たせて、本当にごめんなさい。今、ここに運びますから、しばらくお待ちくださいな。お園手伝って」
 と、奥様もお園さんも部屋から出て行かれます。
 奥様とお園さんの座っていた向こうの縁越しに、あのおにぎり山が殆ど真っ黒な姿に変えて瑠璃色の空にくっきりと浮び上がっているのが見えます。
 「まあ、もうちょっと中のほうに入らせてもないなはれ。今ご主人さんと話していたのじゃがな。これは、わしの勝手な思いつきなのじゃが、平どんではないい、平蔵さんよ。よう聞きなはれや」
 と言って一息お入れになられます。
 「わしの一人よがりの事かも知れへんが、お前に嫁はんを世話をしたろうかいなと思ってな、それで連れてきよったんだ。どうだ。嫁はん貰いなはれ。話はつけてる」
 「ちょっとお待ちになってください。大旦那様。どうしてここに来て籔から棒に嫁はんの事が・・・」
 「はは・・、そうでっしゃろ。どうだ、お園さんをお嫁さんにしとき。おまえもそれがええのとちがうが、図星やろう」
 大旦那様はにこにこしながらいわはりますが、とっさの事で、平蔵には何のことやら意味が分りません。
 大旦那様は、時々とんでもないことを持ち出しては周りをはらはら、どきどきさせる癖があるという噂話は聞いた事があるのですが、平蔵にとっては将に晴天の霹靂です。どうゆう具合にして、こうなったのかさへも、見当だに立ちません。まして、ここまで来て、お園さんの名前が出てこようなんて思いもよらないことだったのです。
 「ちょっとお待ちください。大旦那様。第一、そんなことお園さんにも大変な失礼になるのとちがいますやろか」
 真顔で尋ねます。
 「そうならんように、最前からいろいろと立見屋はんと相談しておった・・・考えてみいや。いつだったか、おまはんに、嫁はんのこと聞いた事がおわしたな。そのとき、わいはな、ははん・・こやつお園さんとかいう女のお人に、大分いかれてしもうとるのとちょうかなと思うたんやで。よっしゃ、それなら、一つこのわいが骨を折ったろかいなと思うたんや。お園さんには、今、わいが話しうつけてやったさかい。なあ、立見屋さん」
 いくら大旦那さんが言われる事であっても、そんな勝手な一方的なことが決められて言い訳はありません。