私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

おせん 17

2008-04-25 18:18:32 | Weblog
 のんびりとした二人の旅は続きます。圓教寺にお参りして三日後の夕方に、ようやく備中宮内の立見屋に入ります。事前に連絡がしてあったのでしょう、宿のご主人夫妻のお出迎えを受けます。
 宿に着くと、大旦那さんは立見屋さんとお話しがあるとの事で、お日奈さんに案内されて部屋を出て行かれます。入り違いに、お園さんが、
 「長い道中お疲れさんでした。ゆっくりお風呂でもどうですか。・・・舟木屋さんの大旦那さんは父となにやら大事な用があるということで、そんなにお急ぎになられなくても、お風呂でも済んで、一休みされてからでもと、申し上げたのですが、何か大切な話があるとかで、父の部屋でお話になられるそうです」
 と入って来て話します。
 平蔵は、そんなお園さんのおしゃべりを聞いているだけで、なんだか大旦那様のお供をしてきた甲斐があったようにも思われます。
 「もうじき、また、吉備津様の秋のお祭りがあります。宮内の人たちは、今、その準備で大変なのです。・・・それはそれは大変賑やかな、この街道筋でも一二を争うような、お祭りになるのです。なんでも秋には見世物小屋がお江戸から来られると聞いております」
 おしゃべりが好きで好きで仕方がないという風にあれやこれやと一人で勝手に話しております。
 「立見屋さんは金毘羅参りとか」
 「お一人でといわはりましたのどすが、御寮ンさんがどうしても私に付いて参れといわはりまして、お供している道中です」
 「そうですか。ここからですと、金毘羅はもう直ぐ其処です。吉備津様と金毘羅さんはご兄弟みたいなお宮さんで、この二つ同時にお参りしなくては御陰が少ないとも言われています。どちらか一つだけお参りすると、何か“ばちがあたる”とも、この地方ではよく言います」
 「そうですか。ばちがあたりますか。では、大旦那様も、明日は吉備津様にお参りしていかにゃあいけんなー」
 「まあ、いかにゃあいけんなんて」
 つい気安さから備中言葉が飛び出して、二人して大笑いをします。
 
 

 なお、山陽道の板倉が、金毘羅への分岐点、入り口になっていました。
 現在も、吉備津の板倉橋のすぐ側にある石灯籠に、金毘羅道口という字が掘り込まれていて、金毘羅への道標になっていたのです。また、宮内にある石の鳥居の側にも石碑があり「こんぴら」という文字が掘り込まれ、金毘羅さんへの案内板として役目をしていたのです。