平蔵の吉備津神社への参拝は、今までは、ただただ仕事一途で、他のことには一切振りもしないようにして生きてきた自分というものについて、ふと立ち止まって自分の仕事以外のことついても考えてみる必要があるのではないかという気持ちにさせてくれました。
大旦那さんが「人の幅を広げろ」「商売からだけでなく他からも物事をよく見ろ」「心に余裕を持て」などと、我々奉公人によく言われていましたが、実際の所、どうしてかなとよく分らなかったのです。が、底なし沼の中に吸い込まれそううな心持に浸りながら、お園さんとたった二人きりで吉備津神社の回廊を歩いていて、どうしてかは分らないのですが、胸がきゅんとなり、仕事以外でこんな気持ちに今までなったことはなかったのです。
すると自分の前が急にぱっと開け、今まで考えも付かなかったようなものが、何かは分らないのですが見えるような気分になるのです。胸の底から湧き上がる生きる喜びみたいなものが飛び出してくるように思えるのです。
翌朝早く、備前で2,3箇、西大寺や長船などに立ち寄り、秋の買い付けなどの用を済ませてから大阪へ帰るということで、立見屋を出ました。何時ものように、お日奈さんが見送りに出てくれました。もう一度、お園さんに逢って、昨日のお礼を言ってからと、思っていたのですが、口にするのもなんだかちょっと気恥ずかしさというか、女の人に執心しているのかという疑いをお日奈さんにもたれるのがどうも少々気が引けるような気持ちになり、そんな自分にいい加減いやけを指しながらですが、そのまま宿を後にします。
大旦那さんが「人の幅を広げろ」「商売からだけでなく他からも物事をよく見ろ」「心に余裕を持て」などと、我々奉公人によく言われていましたが、実際の所、どうしてかなとよく分らなかったのです。が、底なし沼の中に吸い込まれそううな心持に浸りながら、お園さんとたった二人きりで吉備津神社の回廊を歩いていて、どうしてかは分らないのですが、胸がきゅんとなり、仕事以外でこんな気持ちに今までなったことはなかったのです。
すると自分の前が急にぱっと開け、今まで考えも付かなかったようなものが、何かは分らないのですが見えるような気分になるのです。胸の底から湧き上がる生きる喜びみたいなものが飛び出してくるように思えるのです。
翌朝早く、備前で2,3箇、西大寺や長船などに立ち寄り、秋の買い付けなどの用を済ませてから大阪へ帰るということで、立見屋を出ました。何時ものように、お日奈さんが見送りに出てくれました。もう一度、お園さんに逢って、昨日のお礼を言ってからと、思っていたのですが、口にするのもなんだかちょっと気恥ずかしさというか、女の人に執心しているのかという疑いをお日奈さんにもたれるのがどうも少々気が引けるような気持ちになり、そんな自分にいい加減いやけを指しながらですが、そのまま宿を後にします。
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