Retrospective...

イラストレーター/ライター遠藤イヅルの困った嗜好をばらす場所

【ナローゲージ】ネムタクの銀龍。

2010-12-10 | ナローゲージに思いを馳せる
軽便鉄道は免許申請の楽さと建設費の安さで、かつて日本中に敷かれていました。

それこそ沖縄から、北海道まで。

これらの軽便鉄道は開業はしたものの
客足も伸びず、本来の施設目的の一つである貨物輸送はトラックにかわり、
やがては旅客輸送もバスやマイカーにシフトするにいたり、次々と姿を消していきました。


どこも経営母体は弱く、経営は大変だったのではないかと思います。
なので、車両も、施設も最小限だったり、自分たちでなんとかしようと
必至になっている姿が、伝わってくるのです
(軽便では相当に早い段階でワンマン運転という概念を持っていたりした)。


で、今日は、表題の「ネムタクの銀龍」の話になるのですが。


「ネムタク」とは、昭和34(1959)年に廃止された、いまもって日本で最東端を走って「いた」軽便鉄道、
根室拓殖鉄道のことです。
根室から歯舞のほうに向かっていました。


他の軽便の例にもれず、劣悪だった道路にかわる交通手段・輸送手段(歯舞の昆布等)として建設されたけれど、
根室半島は酷寒で、積雪は当然のこと塩害などにも悩まされる過酷な環境だったため、
経営は相当に厳しかったであろうと想像できます。


ネムタクは、経営が苦しかったなどという意味では、軽便鉄道の中では、「ふつう」ではあります。
だけど、ネムタクが有名なのは、とてつもないヤツがいたからなのです。


それが「銀龍」号。


なんだこれw


模型ですみません


銀龍号は、正式には単端式気動車で、車両番号はキ1→キハ3。
昭和24(1949)年、北海道では名の高い歴史のあるバスボディメーカー田井自動車工業製だったのだけど、
色々必要になったものを自家製で継ぎ足し継ぎ足ししたら、えらい姿になってしまったのでした。
こんな百鬼夜行のようなデザインでありながら、
なぜか「銀龍号」なる勇猛なネーミングとの激しいギャップがまた、面白い。

幾多軽便鉄道があって、確かに奇妙奇天烈な車両も数あれど、
ここまで風変わりだったため伝説化し、ネムタクの銀龍、としてすっかり有名になってしまったのでした。



銀龍号のもとは、前述のとおり、キ1でした。
キ1は、キャブオーバー型トラック+開放荷台を持った「鉄道用に足回りを変えたトラック」
のような姿で、まあ、さしておかしな車両ではなかったらしい。
銀龍の名前はすでに、キャビン部がジェラルミンで出来ていたためこのトラック時代には
愛称としてついていたようです。

でも、入線して稼動させてみたら、前後の重量バランスが悪かったたか脱線ばかり。
このため、すぐに改造が行われました。
まず、キャビンの前のシャーシを延長してボンネットをつけ、この中に重いエンジンを移動させて重量バランスを良くしようと思ったらしい。


たしかにこれで重量バランスは改善されたのだけど、とってつけたようなボンネット、
適当に組んだようなグリルとあいまって、えもいわれぬかっこ悪さになってしまったのです(涙


このころすでに、ネムタクは本来の目的であった海産物輸送をトラックに奪われていたため(悲しすぎ)、
トラックとして生まれた「銀龍」は製造から7年後、荷台を客室に改造のうえ旅客車、
形式もキハ3となりました。


ここで問題なのが近所の大工が作ったとされる木造の客室がキャビンより高いものだから、
ボンネット-キャビン-客室とだんだんに背が高くなっていくようになって、
不恰好さがさらにアップ(号泣)、
鉄道車両にもクルマにも見えない、すごいスタイルを持つに至ってしまったのでした。



ただでさえ珍妙だった銀龍号は、さらに晩年は色も変えて、ヘッドライトを 2つにしたものだから
さながらナメゴンかカタツムリのような生物的な姿になって、
また伝説を残すことになったのでした...。








>>ネムタクにはほかに、「ちどり」と「かもめ」という旅客車がいました。

>>「かもめ」はご覧のとおりバランスもよく旅客車らしい姿の好ましい2軸単車で、
銀龍号と同じころ、同じところで製造されました。




>>こちらは銀流号と違い、大きな改造も無く、廃止まで走っていたそうです。


>>あれ!画像小さくアップしちゃった!あとで大きいのと差し替えます!
コメント (3)
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