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イラストレーター/ライター遠藤イヅルの困った嗜好をばらす場所

【ルノーな話】拾った画像でルノー6まつり。

2010-12-08 | ルノーな話。



一部の方にたいへんなご支持をいただいております、
久しぶりの「拾った画像で○○まつり。」シリーズです。


ということで今回は、
これまたまず日本ではお目にかかる機会の少ない、ルノー6(シス)をお送りいたします。



ルノー6(以下R6)は、1968年に登場。
そのなりたちは、ひとことでいえば2CVを「より自動車らしく」「より豪華に」したディアーヌ・アミと同じく、
ルノーの実用大衆車R4(キャトル)にひとまわり大きな車体、
巻き上げ式の窓、インナードアハンドルなど、一般的な「クルマらしい」装備を与えたものになります。





なので、ディアーヌが2CV由来のフラットツイン+関連懸架のメカニズムであったのとこれまた同じく、
R6も、R4のシャーシを流用して作られていたため、
左右で異なるホイールベース、そして直4OHVのエンジン、
ハッチバックボディの始祖ともいわれるR4のボディ形状まで受け継いでいます。



R4。製造開始から32年間、ルノーのボトムを支え続けた傑作車。




エンジンは、のちにR4にもつまれるようになった845ccと1108cc(TL)の2本立てで登場。
そのころはR4は747ccユニットしかなかったので、ひとまわり大きなエンジンを搭載していたことになります。


外観は四角くなってかなりモダンな印象となり、前述のようにR4では引き戸だった窓も
一般的な巻き上げ式になったり、ごく普通のクルマとしての装備を備えるにいたりました。
内装も確実にトリムレベルがあがり、上級なつくり。
しかしまあ、このダッシュボードのデザイン、最高だなあ...。







このボディスタイルは当時のルノーの傑作中型車・R16(セーズ)のイメージもあり、
多途性に富んだイメージも演出されていました。
R4は現代のハッチバックの祖先ともいえる車ですが、このR6は客貨車的な印象もある
(それが魅力なのだが)R4よりも、たしかにいまのハッチバックに近い「乗用車」という
スタイルを持っているように見えます。








1972年には、同じくR4のメカニズムを用いて初代R5(サンク)が登場。
でもこのころはまだ3ドアのみだったので、R5の5ドア的な存在としてこのR6が用意されていたようです。



そして1979年、R5に5ドアが登場するに当たり、R6は生産を終えることになります。
ベースとなったR4は、初代R5の製造が終わっても、
二代目R5(シュペールサンク)が出ても1993年まで延々と作られ続けたのと対象的です。





ところで、R4に対するR6、2CVに対するディアーヌ(そしてミニに対するクラブマン)も、
どれもベースになったクルマはいずれも名だたるご長寿車ばかり。

それに比べ、R6も、ディアーヌも、クラブマンも、本来であるならばベースのクルマの代替的要素もあって作られたのに、
すべて先に消えてしまったのが興味深いところなのです。





クルマを徹底的に実用に具す彼らは、
2CVやR4のようにとことんまで実用的なクルマに対して
「これで十分なのだ」「必要最小限でいい」という合理的思想でクルマと付き合っていた。
そんな中、R6もディアーヌも、ベース車とは車格も近く、また、
ちょっと中途半端に豪華で、上級な感じがした。
また、R6にはR5、ディアーヌにはLNといった後継車も出てしまった。


さらには、2CVもR4も、存在そのものがフランス車の哲学のようになっていたため、
「代わりになる車が輩出されなかった」こともある。


ですので、こうして考えると、
R6が消え、ディアーヌが消え、結果R4と2CVが生き残ってしまったのは、理解できるような気がするのです。



...最後に。
ディアーヌの話になりますが、当時ディアーヌは、こう評されていたそうです。
「何一つ2CVと変わらないのに、ほかの自動車と同じ手入れと保守を要求する」、と。






>>ちなみにスペインやアルゼンチンでは1980年代中ごろまで作っていたようです。

>>R4は友人が持っていたのでかなり運転させてもらいました。
ほんと、小型実用車として本当にいい車なので、それをさらに快適にしているとあれば、
このクルマ乗ってみたいんですよねー。

>>FBMで1、2回見たくらいですから、相当に珍しいはずです。

コメント (15)
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