BAMBOO-JET  ~うみの部屋~

タケノコジェットでどこへでも!
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三内丸山遺跡と大星神社

2005-04-09 23:00:00 | のほほん日記
薄紅天女&火怨を読んでからめっきり古代東北がお気に入りになった私。
そんなわけで古代も古代、縄文文化の大遺跡「三内丸山遺跡」へ行ってきました。
地元青森にありながら今まで一度も足を踏み入れたないとこでした。
たしか発見されたのがごく最近で、日本最大級の集落遺跡が見つかったって、発見時は大騒ぎしてたのを覚えてます。
ま、興味が全然なかったので見に来ようとは思ってなかったのですが。。。

入り口に縄文時遊館という建物があり、中はすごく大きくきれいな立派なものでした。
その建物の一角から外に出られて目を引く大きな集落と木組みでできた展望台のようなものが見えます。
「もののけ姫」にもたしかこんなのが出てきてました。冒頭この見張り台に上ったアシタカがタタリ神を見つけるシーンがありました。
間近で見ると建物がものすごく高くて驚きました。木の梁がとにかく太くて大きい。
昔の人はどうやってこんなものを組み立てたのだ?って感心せずには入れません。
今のように機械がない時代にこんな大きな木を運んで垂直に立てて組み立てるなんて、ある意味すごく高度な技術が必要じゃない?って考えさせられます。
あと復元された竪穴式住居や大型住居があって、狭い入口から中に入るとひんやりした空気と藁の匂いがしみこんできて、不思議な懐かしい気分になりました。
おじいちゃんの家もこんな風な匂いがしなかったっけ?とどこかで嗅いだような匂いがするのです。
太古の記憶というかまるで自分がその空間を知ってるような不思議に安らぐ気がしました。
なんででしょう?そこに住んでる自分を想像して、TVもないし電気もないし、夜は話をして寝るだけじゃん。。。とか獲物も採ってきてこの中で解体するのかしら?と思ったり、なかなか楽しかったですね。
外のコースの脇に遺跡展示資料館があってこの中が以外に面白かったです。
土偶がかわいかった。十字架のような形の土偶たち。
土器も縄文模様がすごくきれいに残ってて、5000年前に作られたものが当たり前のように目の前にあるのってほんとにすごい。中国4千年の歴史にもたまげますが、なんの青森も5千年あるんじゃんって妙に感動してみたりして。
網目模様、縄目模様がすごくきれいで土器ってああみると芸術品だよなぁと思いました。
驚いたのが貝塚から縄文人の食生活がわかり、三内丸山の人はクルミが主食だったってこと!食べ物の60%はクルミ。
いやぁ、リスみたいだけど、昔ってそうだったんだなぁと。サルみたい。だけど魚も動物もたまに食べてるみたいだし。
大量にクルミの殻が見つかって、5千年前のクルミって書かれても私の目からしたらうちの父さんがさっき食べてその辺に投げたクルミの殻と見た目ぜんぜん変わらないの。すごいなぁ、5千年前のものがぜんぜん変わらぬ姿で土の中から発見されるなんて驚きです。
私達が燃料で使う石油も元をただせばはるかかなたに失われた植物や動物の遺骸だったはずなんだけど、それが石油になるのって恐ろしく時間がかかるに違いない。
私って木でも植物の死骸でも動物でもすぐに土に埋めれば分解されると思ったけどそうでもないんだね。埋没林だってあるし、植物が石油になるまでは5千年どころか何万年も時間がかかるんだなぁと5千年前のクルミを見て気が遠くなるほど思い知らされたきがする。

大星神社・・・ここはあの坂上田村麻呂さまゆかりの神社だそうです。すっごいわかりにくいところにあってなかなかたどり着けずえらい目にあいました。どうしても正面入り口がわからず、神社の裏手の森から侵入しました。
聖域の森に入り込むのもいやな気がするのですが、雪解けの雪の上をスニーカーで歩くのはしんどいです。ところどころやわらかい部分があって埋まってしまうのですよね。
何とかたどり着くと神社脇に建立1200年の碑が建てられていてちょっとジーンと感じました。やっぱりほんものだぁって。1200年前といえば平安初期。。。神社の由来にもちゃんと蝦夷討伐の際訪れた坂上田村麻呂が蝦夷を偲んで建てたと書かれてました。ここにはゆかりのお面も重要文化財としてあるらしいのですが、神社は鍵がかかってて社務所に入れないのでわからなかった。
http://www.city.aomori.aomori.jp/bunkazai/inisie/bunka/ken10.html

http://www.ame.co.jp/nebuta/works/nebuta08.html