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1月5日のブログで、スウェーデンが「予防志向の国」(政策の国)であるのに対し、日本は「治療志向の国」(対策の国)であると,私の観察結果を紹介しました。この相違をもう少し、具体的な事例で検証してみようと思います。
皆さんも薄々おわかりのように、日本は「何か目に見えるような問題が起こってから対応を考える、つまり、病気になってから治療する」というパターンを繰り返してきた国です。一方、スウェーデンは人間に被害が出てから行動を起こしたのでは「福祉国家」として社会全体のコストが非常に高くなるという認識から、「予防できることは予防しよう」という考えで行動してきた国です。
高福祉・高負担に支えられたスウェーデンでは、失業者や健康障害者ができるかぎり存在しないほうが望ましいのです。失業者や健康障害者を社会の一方でつくりだし、他方で一生懸命治療するような社会は、GDPの成長には貢献するかもしれませんが、非常にコスト高な社会となります。「治療」という考え方は「社会全体のコスト」を押し上げる原因となるので、スウェーデンにとっては望ましくありません。
ここに大きな相違、つまり、「治療志向の国」と「予防志向の国」の相違があるのです。言い換えれば、「対策の国」と「政策の国」の相違と言ってもよいでしょう。これまでに公表された様々な資料をながめてみますと、明らかに「治療よりも予防のほうが安上がりである」と言えると思います。
水俣病の話からもわかるように、水俣病という公害病は60年以上前に発生し、50年前の1956年に公式に認められた公害病です。しかし、患者の方々は今なお、この病気で苦しんでおられますし、裁判で一応の決着が着くまでに長い時間をようしました。判決後被害者に支払われたお金は大変な額にのぼったでしょうが、それでも、一度失われた健康は修復不可能です。
●NGO国際水銀シンポジウムの記録 水俣から学ぶ-50年の歴史から原田正純先生(元熊本学園大学教授)
こうしたことを考えますと、 「治療より予防のほうが社会全体のコストは安くなる」というのは事実だと思います。このように日本は、金銭と時間と、そして何よりもかけがえのない健康において、莫大なコストを支払う羽目になったのです。
直近の例では、5月31日に東京大気汚染訴訟で「国、和解へ60億円拠出」という報道がありました。
この記事によれば、「これまで政府は、国の政策とぜんそくとの因果関係が明らかでないとの立場から、都が患者との和解のため提案していた医療費助成制度への財源拠出を拒んでいた」そうです(上の記事の赤枠の部分)。さらに、この記事は96年5月の東京大気汚染訴訟から今回の和解に向けた60億円の国の拠出決定までの間に、原告計633人のうち121人がすでに死亡した、と報じています。
20世紀の日本では、目の前のコストが高くなることを大変気にしましたが、社会全体のコストがどうかということにはあまり関心がなかったように思います。一方、スウェーデンは公的な力により「福祉社会」を作り上げた国ですので、福祉社会の維持のために社会全体のコストがどのくらいかかるのかに常に関心があり、福祉サービスを低下させないで、社会全体のコストをいかに低くできるかが政治の大きな目標の一つとなっていました。
このように、20世紀後半のスウェーデンでは「治療より予防」という考えが社会の隅々まで定着していったと言ってよいでしょう。
21世紀に入り7年目に入った今、私たちが直面している「環境問題」と「その解決策としての持続可能な社会の構築」は治療志向の国では対応できない問題ですので、日本を「治療志向の国」から「予防志向の国」へ転換していかなければなりません。
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