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地方の三文小説家「東義久」の独白

東義久のブログです。

桜咲く

2009-03-30 11:15:28 | ひとりごとの部屋
今年も桜の咲く季節になった。
ぼくの家の前には写真のような桜が咲くので、わざわざお花見に行くことはない。
桜の木の下には死体が埋められている、といったのは梶井基次郎だったと思うが、あの美しさは死体のエキスを吸っているからだ、というのも判る気がする。
桜といえば、花咲かじいさんが灰をまいてパッと枯れ枝に花を咲かすが、そんな奇跡よりも、毎年毎年、同じように花を咲かすことのほうが奇跡に思える。
もう春はそこまで来ている。


八分咲き


4月7日、満開です。


きれいに咲きました。

ぼくの親戚の赤井勝治が本を出しました

2009-03-02 02:06:06 | ひとりごとの部屋
ぼくの親戚に赤井勝治という弁護士がいます。
彼は検事から弁護士に転進した、親戚のなかでも頭のいいやつです。
その彼が今度「すご腕弁護士が教える 論理的交渉術」(ぱる出版)税別1,400円、という本を出しました。
話すことや聞くことの極意がわかる、というこの本。小説仕立てになっていて、読みやすく面白い仕上がりになっています。
彼は、テレビ朝日系の名取裕子が主演の「京都地検の女」の法律監修などもしており、ぼくも早速読ませてもらったのですが、一気に読んでしまいました。
話すことが苦手なひとは一読されたらいかがでしょう。
お勧めします。
もし彼に会うことがあれば、彼はちょんまげをしています。ちょんまげの弁護士です。
訴訟事があれば、彼に連絡してください。きっと解決してくれますよ。


意思の弱い男です。(禁煙について)

2009-02-08 23:01:18 | ひとりごとの部屋
2008年7月から禁煙を始めました。
20歳から吸い続け、39年。1日に多いときには2箱半、ヘビースモーカーの最たるものでした。
これまで、一度たりとも煙草をやめようと思ったことなどなかったのに、何を血迷ったのか、昨年、薬局に行った際、ニコパッチンなるものを目にし、思わず買ってしまった。
以来、禁煙が7か月続いている。
男なら、一旦、煙草を吸うと決めたら、最後まで吸うのが美学なのに、
ぼくは挫折してしまったのです。
本当に意思の弱い男です。
喫煙者のみなさん、幾多の迫害に耐えて、
最後まで意思を貫いてください。

エフエム・ラジオカフェに出ました。

2008-10-21 22:33:16 | ひとりごとの部屋
ラジオカフェというエフエムがあります。
これは京都の三条の寺町にあるのですが、その番組の収録に行って来ました。
「浪速熱帯夜」という番組ですが、白木ナツコさんがパーソナリティーの番組です。
白木さんが出てみない、といってくださったので、行って来ました。
スタジオに入って気の弱いぼくは震えていたのですが、白木アネゴの貫禄のある包容力で、楽しい時間が過ごせました。
なにを話したら、と思っていたのですが、丁度、槙島プレーボウズがCDをつくって持って来てくれたので、そのなかの「僕らの時代」と、いうぼくの作詞、中村光一作曲の曲を流してもらい、そこから話をふくらませて行きました。
久しぶりに緊張感のある時間を過ごせました。
白木さん、楽しい時間をありがとう。
さすがプロ、すてきな喋りでしたよ。
これから、いっしょにいいものが創れたらいいですね。
よろしく。


白木ナツコ姉御でございます。


緊張した顔のぼくです。

門脇禎二先生が亡くなりました

2007-06-19 21:43:06 | ひとりごとの部屋
 門脇先生が平成19年6月12日に亡くなりました。
 その日の朝、奥様の幸子さんから電話をいただき、覚悟はしていたものの呆然としてしまいました。
 その10日ほど前、奥様から先生の意識が無く、危篤の状態だと電話をいただき、大崎康弘さんと病院に行ったのですが、そのとき、意識のなかった先生が突然、目を覚まされたのです。
「東です、先生、元気出してくださいよ」
 と、いうと、先生はうんうん、とうなずいてくださったのです。
 看護をされていた娘さんが、ありえないことだと驚いておられました。
 そんなことがあっての奥様からの電話だったのです。
門脇先生にはぼくの拙著「絵がたり山城国一揆」の帯文をいただいています。
 それだけに限らず、なにかことあるごとに世話のかけっぱなしでしたが、その都度いやな顔をせず聞いてもらいました。
 早いものでもう一昨年になりますが、頼まれて講演を依頼したところ、講演の最後には、ぼくとのかけあいでの質問も了解していただきました。
 ぼくが編集長をしている山城郷土史研究会の機関誌「やましろ」に、そのときの先生の講演とかけあいは掲載させていただいていますが、掲載にあたっても快諾をしていただきました。
 その後、「50年後の記憶」と、題して各界の方から原稿をもらい1冊の本としてまとめればおもしろい、ということで、先ずはそのトップバッターとして門脇先生に相談すると、興味を示され話に乗っていただけたのでした。
 先生の家で、雑談形式にお話を伺いました。
 それは歴史だけの話に限らず、幼いころの話や、故郷の高知の話、教育のことと多岐にわたりました。
「ある出版社から、こんな身辺雑記のようなものを出さないか、といわれてる。東くん手伝ってくれるか」
 そんな中で、先生がいわれたのですが、結局は出来ずに終わりました。
「NHKが今度、ぼくの説に沿った番組を作ってくれるんや。ありがたいんやけど、門脇説ばっかり採りあげていたら、日本の歴史界からソッポをむかれるぞ、というておいた」
 話の中で冗談ぽくいわれたり、とても貴重な濃密な時間を持たせていただいたと思っています。
 ひとつ印象に残っているのは、
「東くん、ぼくがこれまでやって来たことは虚業やったんやないか、と思うんや…」
 と、いわれたことです。
 あの喧嘩門脇と呼ばれた先生の意外な一面に驚いたものでした。
 もちろん、体力的に弱ってられたこともあったのでしょうが、学者としての責任感といったものを、ぼくは痛烈に感じていました。
 2,3年後には「50年後の記憶」が出せればと思っています。
 門脇先生、ありがとうございました。
 安らかにお眠りください。                     合掌。