ちょっと用事があって3月16日から20日まで、横浜へ行ってきた。
一日だけ暇な日が出来たので、元町に出掛けた。
kitamuraやfukuzouなどをのぞいて、
夜はニューグランドで食事をした。
そう、横浜ホンキートンクブルースでお馴染みのニューグランドホテルだ。
独り飲む酒、淋しくて
映るグラスはブルースの色
たとえばブルースなんて聴きたい夜は
横浜ホンキートンクブルース
皮ジャンはおって 千鳥足
ニューグランドホテルの明かりがにじむ
センチメンタルホンキートンクマン
ロケーションもいいし、食事もうまかったし、久しぶりに
気分がいい夜でした。

元町のKITAMURA

元町のFUKUZO

ニューグランドの前で

ロケーションは最高

有名なイタリアンスパと料理

中華街

中華街
一日だけ暇な日が出来たので、元町に出掛けた。
kitamuraやfukuzouなどをのぞいて、
夜はニューグランドで食事をした。
そう、横浜ホンキートンクブルースでお馴染みのニューグランドホテルだ。
独り飲む酒、淋しくて
映るグラスはブルースの色
たとえばブルースなんて聴きたい夜は
横浜ホンキートンクブルース
皮ジャンはおって 千鳥足
ニューグランドホテルの明かりがにじむ
センチメンタルホンキートンクマン
ロケーションもいいし、食事もうまかったし、久しぶりに
気分がいい夜でした。

元町のKITAMURA

元町のFUKUZO

ニューグランドの前で

ロケーションは最高

有名なイタリアンスパと料理

中華街

中華街
10月15日、知恩院へ行ってきました。
京阪の祇園四条で下りて、先ずは「市澤帆布」へ寄ってから知恩院の三門で
待ち合わせの檀家の人たちとドッキング。
休憩所でお弁当を食べてから、知恩院へ。
今年は法然さんが亡くなって800年ということです。
生憎、3・11が起きたため、秋まで延期になっていたとのことです。
元祖法然800年大遠忌の参拝のため、檀家一同に連れてもらい、知恩院に行って来たのですが、中に入ってから段が多く大変でした。
知恩院を出てから護国神社のほうまで歩き、普段の運動不足を知らされる羽目に。
2,3日足が痛くてパンパンでした。

知恩院三門

三門から京の町を眺める


法然さん

知恩院大鐘楼
京阪の祇園四条で下りて、先ずは「市澤帆布」へ寄ってから知恩院の三門で
待ち合わせの檀家の人たちとドッキング。
休憩所でお弁当を食べてから、知恩院へ。
今年は法然さんが亡くなって800年ということです。
生憎、3・11が起きたため、秋まで延期になっていたとのことです。
元祖法然800年大遠忌の参拝のため、檀家一同に連れてもらい、知恩院に行って来たのですが、中に入ってから段が多く大変でした。
知恩院を出てから護国神社のほうまで歩き、普段の運動不足を知らされる羽目に。
2,3日足が痛くてパンパンでした。

知恩院三門

三門から京の町を眺める


法然さん

知恩院大鐘楼
今年の夏は暑かった。
10月16日、裏の柿がたくさんなったので、お隣さんと
柿狩りをすることにした。
小さな柿だが、それでも柿の味がする。
お隣さんは柿のジャムを作るといわれていた。
3年ほど前に植えた酔芙蓉もいっぱい咲いている。
今年も漸く秋である。

酔芙蓉と柿

隣の奥さん

うちの奥さん

柿がいっぱい

酔芙蓉の花
10月16日、裏の柿がたくさんなったので、お隣さんと
柿狩りをすることにした。
小さな柿だが、それでも柿の味がする。
お隣さんは柿のジャムを作るといわれていた。
3年ほど前に植えた酔芙蓉もいっぱい咲いている。
今年も漸く秋である。

酔芙蓉と柿

隣の奥さん

うちの奥さん

柿がいっぱい

酔芙蓉の花
暫くの間、ブログの更新をお休みしていました。
身も心もボロボロで、日赤に検査入院。
慢性膵炎で激痛が走り、入院。
先生いわく「むちゃくちゃ酒を呑まはったやろ。膵臓がヘロヘロになってる」
とのこと。
検査によれば膵臓のなかに石があって、こんな大きな石は見たことがない、とのこと。
ぼくは意志が強いんや、との駄洒落も空しく痛みに七転八倒。
石が膵管をふさいではいなくて、結局は切腹を免れました。
慢性膵炎をかかえていきます。
それに伴い、心もすごく淋しい思いでした。
齢ですなあ。
身も心もボロボロで、日赤に検査入院。
慢性膵炎で激痛が走り、入院。
先生いわく「むちゃくちゃ酒を呑まはったやろ。膵臓がヘロヘロになってる」
とのこと。
検査によれば膵臓のなかに石があって、こんな大きな石は見たことがない、とのこと。
ぼくは意志が強いんや、との駄洒落も空しく痛みに七転八倒。
石が膵管をふさいではいなくて、結局は切腹を免れました。
慢性膵炎をかかえていきます。
それに伴い、心もすごく淋しい思いでした。
齢ですなあ。
5月21日付けの京都新聞朝刊から、
いよいよ「やましろ随想」の連載が始まりました。
これから約1ヵ月半に一度、ぼくのひとりごとが掲載になります。
第一回目のゲラが出来ました。
これから編集部の吉岡清さんにはお世話をかけることになりますが、ヨタヨタしながらも書いて行きたいと思っていますので、よろしく。

いよいよ「やましろ随想」の連載が始まりました。
これから約1ヵ月半に一度、ぼくのひとりごとが掲載になります。
第一回目のゲラが出来ました。
これから編集部の吉岡清さんにはお世話をかけることになりますが、ヨタヨタしながらも書いて行きたいと思っていますので、よろしく。

昨年、初詣に伏見稲荷に行き、鳥居の裏山に行き、足のひざがガクガクになりえらい目にあったのですが、今年は懲りずにまた伏見稲荷まで行って来ました。
今回は山には登りませんでした。
今年はいい年でありますように、とさすがのぼくも殊勝にお願いをしてきました。
狐が頷いたような気がしました。

今回は山には登りませんでした。
今年はいい年でありますように、とさすがのぼくも殊勝にお願いをしてきました。
狐が頷いたような気がしました。

ぼくの実家にはお地蔵さんがおられる。
毎年、8月の23日は村の人たちが
お参りに来てくださるので、
お守りに行く。
掃除をして、地蔵さんのチャンチャンコを新しくして。
さて、今年も夏がいきます。


毎年、8月の23日は村の人たちが
お参りに来てくださるので、
お守りに行く。
掃除をして、地蔵さんのチャンチャンコを新しくして。
さて、今年も夏がいきます。


これまで目を酷使してきたのがたたったのか、
白内障と硝子体の手術を2009年7月29日に
受けました。
手術前に、長いまつげを切られ、
いざ出陣。
1時間55分の手術に耐え、無事、帰還。
怖かったです。局部麻酔のため、
なんか目の中に光とともにメスが入って来るようで……。
尻の穴の小さな男です。
その夜、同室の患者の病的な鼾に眠られず、次の夜は、
手術室の横で寝ることになりました。
目のお化けが出るようで、気持ちが悪かったです。
徐々に目が回復。どんなに世の中がはっきり
見えてくるか、楽しみです。
みなさんも普段から体には気をつけてください。

さすがのぼくも疲れました。
白内障と硝子体の手術を2009年7月29日に
受けました。
手術前に、長いまつげを切られ、
いざ出陣。
1時間55分の手術に耐え、無事、帰還。
怖かったです。局部麻酔のため、
なんか目の中に光とともにメスが入って来るようで……。
尻の穴の小さな男です。
その夜、同室の患者の病的な鼾に眠られず、次の夜は、
手術室の横で寝ることになりました。
目のお化けが出るようで、気持ちが悪かったです。
徐々に目が回復。どんなに世の中がはっきり
見えてくるか、楽しみです。
みなさんも普段から体には気をつけてください。

さすがのぼくも疲れました。
土曜日、劇団京芸の創立60周年記念レセプションに行って来ました。
京芸は京都のプロの演劇集団で、
今年、創立60周年になります。
演劇はなかなか財政的に難しく、
また、東京ではなく京都で続けて行く困難さは、
大層なもので、
今日までがんばってこられたことに、先ず敬意を表します。
これからも地元の演劇集団の活躍を祈るばかりです。
劇団京芸、おめでとうございます。ますますの進化を!

会場の様子。

藤原薫さんと。

山本さんと。
京芸は京都のプロの演劇集団で、
今年、創立60周年になります。
演劇はなかなか財政的に難しく、
また、東京ではなく京都で続けて行く困難さは、
大層なもので、
今日までがんばってこられたことに、先ず敬意を表します。
これからも地元の演劇集団の活躍を祈るばかりです。
劇団京芸、おめでとうございます。ますますの進化を!

会場の様子。

藤原薫さんと。

山本さんと。
土と炎の詩人ともいわれる陶芸家、河井寛次郎がこよなく愛した精華町の植田村を訪ねました。
この日は、寛次郎のお孫さんの鷺珠江さんや益子陶芸美術館の横堀聡副館長が一緒でした。
河井寛次郎が民芸運動に参加していたことはよく知られており、
今年の秋ごろに同じ民芸の浜田庄治の展覧会を益子美術館で企画されていて、
河井寛次郎の足跡を見にこられたのです。
植田村も当時とはかなり風景が変わっていますが、
それでも眺めていると感慨深いものがありました。
そして、今日の収穫はなんといっても岩井武俊のお家を訪ねられたことでした。
武俊は元毎日新聞の記者で、考古学者でもあり、内藤湖南と河井寛次郎を会わせた人物ともいわれています。
寛次郎の孫と岩井武俊の孫さんが時代を超えて会うことの不思議を満喫できた一日でした。

河井寛次郎が立って見た植田村に孫の鷺さんが立つ不思議。
この日は、寛次郎のお孫さんの鷺珠江さんや益子陶芸美術館の横堀聡副館長が一緒でした。
河井寛次郎が民芸運動に参加していたことはよく知られており、
今年の秋ごろに同じ民芸の浜田庄治の展覧会を益子美術館で企画されていて、
河井寛次郎の足跡を見にこられたのです。
植田村も当時とはかなり風景が変わっていますが、
それでも眺めていると感慨深いものがありました。
そして、今日の収穫はなんといっても岩井武俊のお家を訪ねられたことでした。
武俊は元毎日新聞の記者で、考古学者でもあり、内藤湖南と河井寛次郎を会わせた人物ともいわれています。
寛次郎の孫と岩井武俊の孫さんが時代を超えて会うことの不思議を満喫できた一日でした。

河井寛次郎が立って見た植田村に孫の鷺さんが立つ不思議。