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地方の三文小説家「東義久」の独白

東義久のブログです。

大林宣彦監督が高林陽一監督のことと拙作「夜が明けたら」を語っていただきました。

2013-05-22 10:48:05 | 文学の部屋
高林陽一監督が拙作「夜が明けたら」を最後の映画作品にしたいといわれて話が進んでいました。
大阪の澪出版から脚本と原作の合本も出版になり、さこれからというときに高林監督は風邪をこじらせ、肺炎でかえらぬひととなってしまいました。
今回、高林監督と盟友であり、「夜が明けたら」の帯文も書いていただいた大林宣彦監督が
高林陽一監督のことや「夜が明けたら」のことなどを、
『ドキュメンタリーの眼② 大林宣彦インタビュー「高林陽一君と青春の個人映画」』として、金子遊氏がインタビュー形式でまとめられましたので紹介します。
大林宣彦監督は「時をかける少女」や「転校生」など多くの作品でおなじみです。
このインタビューを読んで、今さらながらに残念で淋しい思いになりまし

大林宣彦監督インタビュー抜粋

『この空の花』を高林君に見てもらい、さあ次はお互いに90分くらいの作品をつくって2本立て上映をやろう、という矢先でした。高林君は『夜が明けたら』という作品を、東義久さんの原作小説・脚本で用意していた。先に書籍として出版されて、僕も帯文を書きました。高林君らしい「滅びの美学」の究極のような作品で、まさしく「これが最後だ」と覚悟した映画になる予定だった。新藤兼人さんの『一枚のハガキ』もそうですが、これが最後だと決めた時、不思議に静謐で、映画になる前から或る整いのある脚本が生まれるんですよね。脚本というのはどこかで混沌としていて、集約されるというより、撮影前には拡散していくのが脚本の力なんですが、これが最後と決めたホンには、ある種の決められた掌のような深まりがピシっとある。そうしたら、渋谷のアップリンクで『この空の花』を上映して、舞台のトークで高林君や「トーラス」という映画館の話をしていたときに、高林君が危篤だという知らせを受け取ったのです。
高林君が京都で経営していた「トーラス」という映画館も、アップリンクのような小屋でした。8ミリと16ミリしか上映しない劇場で、高林君と博子さんが自身でモギリをやっていてね。宮川一夫さんが、くつろいでお茶を飲んでいるような。そんな劇場で2本立て上映をやろうと計画していた。高林君は博子さんのいるところへ行ったんだな、ということが唯一の慰めですけれど。作家が1人死ぬということは、これから生まれる作品がもう永遠に失われるということです。『夜が明けたら』は高林君以外の誰にも撮れない作品だから、悔しいし残念なことです。しかし、これまでの作品が皆さんに記憶されることで、高林君の作品も永遠に生きる力を発揮していくだろうし、まだ生まれていない人までが、これから高林君の作品を発見していくのだと思えば、それはとても楽しみなことでもありますね。 

(2012年9月、成城学園前にて。聞き手・写真/金子遊)

全インタビューを読もうという方は次をクリックしてください。
http://webneo.org/archives/5320







西口文学を語る集いに出席しました。

2013-04-06 20:10:07 | 文学の部屋
4月6日(土)、西口文学を語る集いに参加した。
藤森のそうぞう館には、午前中西口克己ゆかりの中書島を文学散歩した人たちが集まった。
会はヴァイオリンの独奏でオープン。
松尾隆司さんの作品解説が行われ、
京芸の藤澤薫さんの胸に沁みる朗読や、
西口の思い出話など終始和やかに会は進んだ。
西口のぞみ夫人も出席されており、
お礼の挨拶もあった。
ぼくも西口文学を少しだけ語った。
最後に今回の世話役の佐藤和夫さんが挨拶され、
必ず中書島の地に西口克己顕彰碑の設立を実現したいと結ばれた。
爆弾低気圧にも関わらず大勢の西口フアンが集まった一日であった。


ヴァイオリンの独奏でオープン。


会場となったそうぞう館の様子。


藤澤薫さんの朗読。


ぼくと会場の様子。


ぼくです。


のぞみ夫人


佐藤和夫さん。


息子の通っていた幼稚園の片岡園長先生と偶然に会いました。









講演会っが終わりました。

2012-12-17 23:42:28 | 文学の部屋

12月16日の日曜日、午後2時から3時半まで、京都府城陽市立図書館で市制施行40周年記念成人ライ

ブラリーがありました。ちょうど選挙日と重なりました。

「自作で語るふるさとの歴史と物語性」と、題して一時間半しゃべらせてもらいました。

友人の北岡ご夫妻にはわざわざお越しいただきありがとうです。

 

 


12月16日の日曜日、近くのひとはのぞいてください。

2012-12-14 01:52:20 | 文学の部屋

12月16日の日曜日、午後2時から3時半まで、京都府城陽市立図書館の成人ライブラリーで、

「自作で語るふるさとの歴史と物語性」と、題したぼくの講演をします。

開催場所は、城陽市の文化パルク城陽・西館3階 会議室です。

時間の空いている方はのぞきに来てください。


高林陽一監督を偲ぶ会がありました。

2012-11-30 01:57:17 | 文学の部屋

               

 会場に飾られた高林監督の遺影。  会場の様子。    

 

林宣彦監督の「高林陽一監督を偲ぶ会」への呼びかけ文。

 

高林陽一監督が亡くなって3カ月が経った。

12月1日、発起人の一人として「高林陽一監督を偲ぶ会」に出席して来ました。

会場は監督の出身地である京都のからすま京都ホテル。

ぼくは監督と共著で「夜が明けたら」を澪標出版から出している。

監督が生前、自分の映画人生の最後の作品にしたい、といってくれたぼくの原作と監督の脚本の合本

だ。

が、結局、映画は日の目を見ることなく監督は逝ってしまわれた。

そんな関係でぼくは偲ぶ会に出席した。

      大林宣彦監督の挨拶とぼくとの記念さつえい。

 

本の帯文をもらった大林宣彦監督が発起人の代表である。先ずは大林監督の挨拶と高林監督への追

悼の言葉で会は始まった。

           

 栗塚旭さんと。       松井良彦監督と。     としおかさんと。

      

遠藤久仁子さんと。 土橋亨監督夫妻と。 

  

会場は100人ほどの出席者で高林監督の生前の交流関係の広さが偲ばれる。

俳優の栗塚旭さんや映画監督の松井良彦氏、土橋亨夫妻など懐かしい顔もあった。

大林監督からは「映画化される前に亡くなり残念でしたね」と、労いの言葉をいただき嬉しかった。

けれど、ぼくの原作と高林監督の脚本の合本が澪標出版から上梓され、思い出として遺った。

なんの準備もしていなかったのに会の最後にぼくの挨拶がまわってきた。これは司会のとしおかさんの

気遣いだったのだろう。

ぼくの挨拶。

さよなら自主映画の巨匠、高林陽一監督。ご苦労さんでした。

会場入り口に飾られた「夜が明けたら」。

 

 高林陽一監督とぼくの合作。帯文は大林宣彦監督。

 

 


門脇先生のビデオを作る計画が進行中

2012-10-14 13:47:21 | 文学の部屋

門脇禎二先生が亡くなられてその蔵書をどうするかということが、ご家族と関係者の間で

話題になっていた。

今回その行き先が決まり、近々運び出されることが決まった。

そこで門脇先生の蔵書のビデオを撮ろうということになり、10月8日、佐藤先生やビデオ

担当の黒田先生などが集合して撮影をしました。

主を失った門脇先生の書斎の机がちょっぴり淋しそうでした。

    

 先生の机       先生の書斎の机    蔵書の撮影


林サヨコさんが東京の椿山荘でキルト展

2012-09-14 13:58:37 | 文学の部屋

キルト作家の林サヨコさんが今回初めて東京に進出されます。

東京の椿山荘において9月25日から9月30日まで開催になる「第二回椿山に咲くキルト展・美しい日本の情景」に出展です。

彼女のキルト作品は京都を中心にした風情を緻密に鮮やかに切り取り、感動を与えてくれます。

彼女はそんな自分のキルト作品の前で朗読をすることでも知られていますが、今回の椿山荘でもぼくの「京の走り坊さん」の読み聞かせをやってくれます。

朗読会の時間は、

29日 13時 ・ 15時

30日 11時 ・ 13時半

ですので、もし東京に行っておられる方は足を伸ばしてください。林さんの成功を祈ります。


高林陽一監督亡くなる。

2012-07-20 13:30:15 | 文学の部屋

7月15日に高林監督が亡くなった。

その2日ほど前に危篤の報せを受けていたが、本当のこととなった。

最後は肺炎だったそうだ。

通夜に参列させていただいたが、複雑な思いだった。ぼくの「夜が明けたら」を監督人生の最後の

作品にしたい、といってくれていた高林監督。それはかなわぬ願いとなったが、監督とぼくとの共

著が一冊残っただけでも由とすべきだろう。

それにしても祇園祭の宵宵山に逝かれるとは、監督らしい。

お疲れさんでした。

最後の共著「夜が明けたら」


京都自由大学で講師をしてきました。

2012-05-19 23:58:58 | 文学の部屋
5月18日(金)の夜、京都自由大学というところで依頼され、講師をしてきました。
これはあのノーベル賞をとられた益川先生が始められたそうで、会場は下京区油小路上がるの京都社会文化センターです。今回は竹内先生に呼んでいただき、池田さんの司会で始めました。
演題「山城国一揆入門」でした。
けっこう皆さん熱心で楽しいひと時でした。