情報やらルールを頭に叩き込んだり、覚えていったり、経験期間が長いってことで、人より抜きに出てるような人は、まぁ一見しては周りには
「出来る人」として目に映る。
だけど自己研鑽を積んでる訳とはちと意味が違って、人間がついていってないケースが多く、少し関わると、「あれ、なんだぁ」とガッカリすることは多い。
逆にそこに関しては「開き直り」すら伺える。
つまりなんていうか、
「マウントを取れる位置にいたいが為の必死さ」
というのがすぐに透けてくるので、気づきの良い人はすぐ気がついてしまう。
鼻につくのだ。
ほんとギリギリの背中合わせでガッカリしてしまうのと、一瞬でも「あ、この人いいかな?」と思ってしまった後の悔しさみたいな気分に苛まれる。
そういう意味においてはこちらの自己研鑽を積ませていただけるから、有り難い存在としてヤレヤレしながら関わるしかないあたりは私はとうにわかってはいるが、この一年もやっぱり「やはりそっちでしたか、この人らも、、、」とガッカリして終わりを迎えた。
チーム運営ではこの手の表向き出来る人の使い用は悩まされることが多い。
何かミスるとかそういうことではなく、根本的な向き合い方の部分についての問題なので、注意のしようも、指導のしようも、何をどう伝えても伝わっていかないことが多い。
論点とか意図を汲むあたりが全く噛み合っていかない。(口ぶりはあっていても行動に反映されていかないというか)
この一年も外国人同僚ですらこの件が「勉強になった」と口にした。
そこにすぐ「ピン!」ときたあたり、今回のチームでは日本人にそこに気がつける人がいなくて(大人でもそこについての意識が幼い方、避けてる方がほとんどだった)、外国人がすぐ気がついてくれてそのことを語り合えたあたり、そこの大変さを汲んだ言葉を伝えてきてはフォローしてくれたことが、私の心の救いだった。
中国人同僚とは孔子の名言を例に出しての会話になった。
「日本人でもわかっているんですね!」となんだか彼女も喜んでいた。
暗記してただ知ってるということじゃなくて、経験値やら状況に照らし合わせてこういう名言がサラッと出てきて確かめ合えたあたりが、「親だとか出会ってきた先生や先輩らの教えが似てるのかな、彼女とは。」と感じた一幕だった。