ねーさんとバンビーナの毎日

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前提が違う環境

2008年12月18日 08時34分18秒 | 伝われねーさん
可笑しいなと思う前提、
嫌だなと思う前提、
面白いなと思う前提、
美味しいなと思う前提、

これらがま~るで異なる環境は、

全てはそのことが、「好きだから」とか「嫌いだから」を物差しにしている、なんだか大人が集っていながら小学生のような子供が集う環境だった。


「好きでも無い、嫌いでも無い。そういうことは基本的にどっちでもいい。」という中庸は無いらしい。


「好きか嫌いか」を明確にしてないとダメらしい。
だから息が詰まる。


「好きだから」「嫌いだから」を物差しにするから、「私をずっと好きでいてね、嫌いにならないでね。ずっと仲良くね。」って、いつまでたっても誰かの機嫌を取るようなところから解放されない。


それがかえって怖い。(笑)


「私はこんなもんよ~」で「好きだから」とか「嫌いだから」を気にして関わらないで、自分の状況に合わせてその時見合った人と関わっているのが、一番害が無い。


状況に見合ってる人は害を与えてこないわけで、これはやっぱり「好きか嫌いか」より現実を客観視して自分で自分をごまかしてないからできる技。


いつまでも「手繋ぎ状態を保ちたい。この状態を保ちたい。」とやってると、お互いに無理がくるじゃないすか、無意識のうちに。

状況が変われば現実逃避してられない時もくるわけで、それを言葉じゃなく察してくれない相手とは距離をおくに限る。


上乗せで揚げ足取りは適当に相手して適当にスルーに限る。
無視は争いになるから、適当に合わせて適当にスルー。


これ、「好き嫌い」なんていう、そんな時限の問題じゃぁない。


時間がもったい無い。
関わってる時間が本気で無い。
暇がない。


単に理由はそれだけ。(笑)


状況変化もない優雅な人は身近にいないので、皆なんとなくほっておいてくれる。
言葉じゃなくて察してくれる人は「冷たいなぁ」と思うほどそっとしておいてくれる。
それはこちらに時間がないことを観察してくれてて向こうも分かってるから。


だけどスルーする行為ができなくて、無理がきても自分をごまかして関係を保とうとする。
無理がきてる自分すら気がついてない人がいる。
無理をわざわざ自己否定して、奮い立たせてたりする。


だからおこったり、いかったりしないで、「ギャっ」とばかりにキレるじゃない?
で、なんかベッタベタと絡み合うようにつるんでる。


感情の発散を我慢するからぁ。

心の中の本音をごまかすからぁ。

いい人ぶるからぁ。

損得を理詰めでソロバンはじいて人との関係を作ろうとするからぁ。


キレたり、いかれない人はこんどは、

「なんかしらないけど嫌なことがあった後に蕁麻疹が身体中に出ちゃって。」とか、

「原因の分からない偏頭痛がひどくて。」とか、

こんなこと言ってるんだよなぁ。



もぅそれはホントにどうかしてるよ?見切らないと。



人間関係に無理してるんだよ。(気がついてないんだよなぁ。)


「好きか嫌いか」なんてどうでもいいのよねぇ。(極端な話)
それより自分のこの状況を乱すか乱さないかと考えて、関わる時は関わる、距離おく時は距離おくってやったほうが、お互いにいい関係でいられるし、いい人と巡りあえる。


こういう考え方はさっぱりしすぎかなぁ。


(ね)なんて、世の中にいかりが沸いて沸いて(も~ホントにそうじゃね~だろ、サラリーマン管理職のオヤジたちよって。若い?(笑))、その結果アトピーになりましたよ。ハハハハハ

好き嫌いが揺さぶられて、立場的にも見切りがなかなか出来なかった若い頃は偏頭痛があったなぁ。
最悪は風邪でもないのに高熱と全身痺れがきちゃって車椅子で脳神経外科行き。



40までにこの2つをクリアーした(ね)があえて言うよ。参考まで。
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