ねーさんとバンビーナの毎日

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今日突かれたお言葉・その356

2010年11月16日 09時44分29秒 | 突言葉ねーさん
律は理窟づめの女なり
同感同情のなき木石の如き女なり
義務的に病人を介抱することはすれども同情的に病人を慰むることなし
病人の命ずることは何にてもすれど婉曲に諷したることなどは少しも分らず
例へば「団子が食ひたいな」と病人は連呼すれども彼はそれを聞きながら何とも感ぜぬなり
病人が食ひたいといへばもし同情のある者ならば直に買ふて来て食はしむべし
律に鍵つてそんなことはかつてなし
故にもし食ひたいと思ふときは「団子買ふて来い」と直接に命令せざるべからず

直接に命令すれば彼は決してこの命令に違背することなかるべし
その理窟つぽいこと言語道断なり
彼の同情なきは誰に対しても同じことなれどもただカナリヤに対してのみは真の同情あるが如し
彼はカナリヤの籠の前にならば一時間にても二時間にてもただ何もせずに眺めて居るなり
しかし病人の側には少しにても永く留まるを厭ふなり
時々同情といふことを説いて聞かすれども同情のない者に同情の分るはずもなければ何の役にも立たず
不愉快なれどもあきらめるより外に致方もなきことなり



正岡子規の「仰○漫録」より。



えんきょく【婉曲】
言いまわしが穏やかでかど立たないさま。
露骨でなく、遠まわしに言うさま。


ろこつ【露骨】
感情などを隠さずに、ありのまま外に表すこと。
また、そのさま。むきだし。あらわ。


まっすぐ【真っ直ぐ】
1 少しも曲がることのないこと。また、そのさま。
2 寄り道などしないで、直接に目的に向かうこと。また、そのさま。
3 かくしだてのないさま。正直。




「律はどうして同情を向けられないのか?」をこの世代として考えると…。


「同情を好まない人」ってのはいるから、律さんはそういう環境にしかいたことがなく同情を必要と思ったことがない。
必要と思っていなけりゃ、教えようにも伝わらない。


「同情を向ける」とその状態に入り込み過ぎて(社交辞令的に扱えない)自分の側の気持ちのコントロールが狂う人っている。
同情を向けることで病んでる人以上に自分が病んでいってしまうような。
そうなれば「同情」したことが、逆に「迷惑」をかけることにもなり。
だから(あえて)理屈づめで虚勢をはってる場合もあり。
自分を保つ為に簡単に同感同情したくない訳。
自分が崩れると相手に迷惑かけることをわかってる訳。
演出みたいに作った気持ちも向けたくない訳。


病人は病院にでも入っていない限り自分以外は病人ではないと思いがち。
だけど病人を扱ってる側が病んでしまうことはある訳で、そうなると寝込みはしてなくとも、空元気であろうとも、理屈づめであろうとも、病人同様だったりする訳で、「同情ならお互い様でこっちも欲しいくらいです。」という気持ちになる(だからややこしいから「同情」なら必要ないのさ)かと思う。
カナリヤの前に一時間も二時間もいられるあたり、そういう気持ちを感じてしまう。


人って“心配”なことに気を使ったり、心を配ったりするわけで、無責任に“同情をする”ってことに気を使ったり、心を配ったりしててはいけない生き物なんじゃないすか?

“同情”と“心配”はまったく違うからさぁ。
で、“心配ぶる”っていう演技はいくらでもできて、
“本当に心配する”ってやってるのかねぇ、みんな。


同情欲しがるのは個人の甘えッス。
それを満たすことだけで物事が成り立ってたら、世の中成り立たないよ。
心配な状態を直視することに目をふさいじゃうからね。
それは危険極まりないわぁ。







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