何でも、そう、芸術だろうが音楽だろうが技術だろうが、「最初は真似で出来ているもんだ。」って言うよね。
これ、単なる真似じゃ中国よろしくのパクリになってしまうわけでね。
それをそのまま複製してちょっとだけ変えるみたいな。
ロゴをゴシックから明朝にしてみるとか。
ブランド名を『Lenoma』から『Lemon』にするとか。
影響されてそれを真似てみて別の作りにしてみるんじゃなく、そのまま真似るだけ。
じゃぁ「なんで最初は真似をするか?」って言えば、影響されたものがあるからなんだよね。
影響されるんだよ。
これって感じるってことだろう。
計算ではない、ハートが何かを感じるの。
感じてるもの、フィーリング、考えているもの、それを具現化するプロセスで、「のようなものに近いモノ、ひとまずないかな~~~」って探すよね。
そうやってアンテナ張って観察(ウォッチング)や洞察していると、
「おーーーーっとぉ!これだ、これ!!
こんなのだよ、自分が考えてるのに近いヤツ!」
ってのと遭遇する。
で、ひとまずそれを真似して自分のものにしてみる。
でも、感性が先にあって真似をしてる人ってのは、その真似だけでは居心地が悪いのよね。
いくら世間でも認められて素晴らしいと言われるものを真似ていても、
「う~~~ん、自分が考えるのは、こうでもないんだよねぇ・・・実は。」
って居心地が悪いの。
その段階で「ただの真似じゃん!」って言われてしまうのはすでにセンスが足りない訳で、「○○に影響されたでしょう?も~ぉ、っとに、す~~~ぐ影響されるんだからぁ!」って茶化されるくらいだと見込みがあるんだろう。
それと、「ただの真似じゃん!」ではなくて、「○○に影響されたでしょう?」って突っ込める人もなかなかだと思うんだよね。
影響を受けられる人、つまり、やっぱりアンテナ張ってる人だから。
あ、洗脳じゃないから、影響って。
感覚だから影響って。
洗脳って頭で考えちゃってて感じて無いから。
そう揶揄されようが、影響を連続して「こうじゃない、こうでもない、こうかなぁ・・・」って懲りずに飽きずに積んでいける人がやっぱりオリジナルを作れる人なんでしょうね。
最初からオリジナルを作ろうとする(←これってその度初期化して積まないよね。)と、そういう苦労の基礎の積み重ねがないから、なんだろな、「自己満足・自己賞賛止まり」なのがミエミエ(スケスケ)で、そういうのを評論しあう人同志で趣味の会でもやってるならばいいけど、やっぱり結果的には「そこ止まり」なんだよねぇ。
これ、単なる真似じゃ中国よろしくのパクリになってしまうわけでね。
それをそのまま複製してちょっとだけ変えるみたいな。
ロゴをゴシックから明朝にしてみるとか。
ブランド名を『Lenoma』から『Lemon』にするとか。
影響されてそれを真似てみて別の作りにしてみるんじゃなく、そのまま真似るだけ。
じゃぁ「なんで最初は真似をするか?」って言えば、影響されたものがあるからなんだよね。
影響されるんだよ。
これって感じるってことだろう。
計算ではない、ハートが何かを感じるの。
感じてるもの、フィーリング、考えているもの、それを具現化するプロセスで、「のようなものに近いモノ、ひとまずないかな~~~」って探すよね。
そうやってアンテナ張って観察(ウォッチング)や洞察していると、
「おーーーーっとぉ!これだ、これ!!
こんなのだよ、自分が考えてるのに近いヤツ!」
ってのと遭遇する。
で、ひとまずそれを真似して自分のものにしてみる。
でも、感性が先にあって真似をしてる人ってのは、その真似だけでは居心地が悪いのよね。
いくら世間でも認められて素晴らしいと言われるものを真似ていても、
「う~~~ん、自分が考えるのは、こうでもないんだよねぇ・・・実は。」
って居心地が悪いの。
その段階で「ただの真似じゃん!」って言われてしまうのはすでにセンスが足りない訳で、「○○に影響されたでしょう?も~ぉ、っとに、す~~~ぐ影響されるんだからぁ!」って茶化されるくらいだと見込みがあるんだろう。
それと、「ただの真似じゃん!」ではなくて、「○○に影響されたでしょう?」って突っ込める人もなかなかだと思うんだよね。
影響を受けられる人、つまり、やっぱりアンテナ張ってる人だから。
あ、洗脳じゃないから、影響って。
感覚だから影響って。
洗脳って頭で考えちゃってて感じて無いから。
そう揶揄されようが、影響を連続して「こうじゃない、こうでもない、こうかなぁ・・・」って懲りずに飽きずに積んでいける人がやっぱりオリジナルを作れる人なんでしょうね。
最初からオリジナルを作ろうとする(←これってその度初期化して積まないよね。)と、そういう苦労の基礎の積み重ねがないから、なんだろな、「自己満足・自己賞賛止まり」なのがミエミエ(スケスケ)で、そういうのを評論しあう人同志で趣味の会でもやってるならばいいけど、やっぱり結果的には「そこ止まり」なんだよねぇ。