ねーさんとバンビーナの毎日

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「事実は多数」で「真実はひとつ」と解釈しておりますのよ。

2009年05月01日 09時19分23秒 | 考えるねーさん
事実はひとつ、真実はひとそれぞれ。


あーあ(呆)、オトナ(特に40中盤~50代に多い)がこれだからイケナイ。

どういう歪みを起こしているんでしょう、この年代。特にこの年代。特に優秀な人たち。
なんかねー、社会に出てから、いっつもこの年代の人たちの考え方に疑問を持ち続けているの。で、むかっ腹立ったりするわけ。(笑)

子供の問題が起きてるのもこの世代の親の子供に多くありませんか?
すごい「一点集中思い込みの激しさ」にオドロキも怒りも通り越して呆れて笑えてくる。
なんか面白いキャラクターにでも仕立ててコントでも作るか?って感じで。


どういう社会情勢だったんでしょう。
どういう家庭環境だったんでしょう。
どういう教育環境だったんでしょう。


それらを全否定してみて突破してみるということは試したりしないのでしょうか。


怒りも否定も取り越して、

「も~どっちでもいいよ、っとにあんた達つまんねーよ。よきにはからえ。(ヤレヤレ)(父風)」

ってか。もうそんな感じ。ウハハハ。



じ‐じつ【事実】
1 実際に起こった事柄。現実に存在する事柄。
2 哲学で、ある時、ある所に経験的所与として見いだされる存在または出来事。  論理的必然性をもたず、他のあり方にもなりうるものとして規定される。


人の目に映ることが口に吐き出されてそれが比喩だろうが、それはそれで事実です。
その人にはそう感じたり、その人の感性でそう見えたり、その人の経験値でそういう風に考えられたりする訳で、それはそれでその人の事実です。

「あ、そうなんだ~~。面白いね。そういう風に考えたり思うのね。
私にはそういう感性がないけど、ふ~~ん、そうなんだぁ。」

「お前、そんなこと言うなよな。」

単に、ほんとに単に、それだけ~~~~のことです。

だから事実っていうのはゴロゴロごちゃまんと世の中に転がってます。
それがあたしにゃ面白くて「人って一番愉快だ!」って思うわけです。
「気にせずどんどん吐き出してくれ!」って思うわけです。

それを単に公平に見てればいいだけでしょ?


しん‐じつ【真実】
1 うそ偽りのないこと。本当のこと。また、そのさま。まこと
2 仏語。絶対の真理。真如。

「うそ偽りのないこと=真実」がひとそれぞれ?
そこをそんな風に言っちゃって肯定しちゃうのはよろしくないよぅ。

「うそ偽り」をしちゃうからよろしくないのよ。
それが「自分を誤魔化すうそ偽りを平気でのさばらせちゃってる」根源にもなってるわけさ。

ウソって言うのは、人を慮って人を傷つけない為に上手にウソをつくのだよ。
自分を誤魔化すうそ偽りはまわりに不安感とか不信感を漂わせていくのだよ。
不安はイヤだからみんな自分を誤魔化すウソを重ねていくわけ。
でもって不信に思われないようにまた(自分に)ウソを重ねていくわけ。


人を傷つけるウソはダメ。
人を怒らせるウソは、ウソつかれる態度するからそうされるのさぁ。


「真実はひとつ=自分にウソつかない」

やっぱりこう口にして言えてないとダメだと思う。
時代錯誤だろうと言われようが、偏ってると言われようが、少なからず経験値も高いオトナはこうやって口にして欲しい。



あたし個人の意見ね。
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