ねーさんとバンビーナの毎日

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こないだ突かれたお言葉・その45

2009年04月14日 08時19分39秒 | 突言葉ねーさん
念力は千里を越える


なんかこないだ85歳の助産婦さんがテレビでやってて、そのおばぁさんの言葉。

念力って念じてる人も、「伝われーっ」って自分を律するからね。

自分さておき、何かを念じてたって、それは千里を駆け巡らない。

所詮、「自分で自分をどうするか。」だから。

すでにステージの高い人は念じることが出来る。
すでにステージが高いっていうのは、結局、努力してるわけさ、自分で。


超簡単なのよ、何もややこしいことはない。
勉強する必要もない。
他人とややこしい勝負をする必要もない。


「そうするか、しないか」ってそれだけ。
他人を問い詰めてないで、自分で自分を追い込んで、「やるか、やらないか」だけ。


このおばぁさんも、「結局は念じてやるしか出来ない。」って言ってた。究極を分かってらっしゃる。


「母子共に無事出産が済みますように。」って念じるしか出来ないって。


子を産むのは妊婦な訳で、妊婦が一番責任背負わなきゃならんのだ。


妊婦でそれを放棄して、何もかも他力本願で指図をお願いして、それに応えてしまう人がいたとする。

子供を産む覚悟を放棄してる人に、手取り足取り産ませてやったら、ろくなことにならないのは、安易に想像出来る。


産むことに覚悟してないでそのまま育児に突入。
「うわーん、面倒臭くてもうやだ。」って言えば、誰かが必ずすぐ協力してくれて、ずーっと独り立ちできない母親。
手取り足取り協力して世話してくれる人が一生身近にいる訳でもなし。


すぐに協力しちゃう人は覚悟が足りない。
こういう人達が変な結託を始めて、変なルールを作り出す。


いつでも応援してくれる人は何かを覚悟している。
ルールなんかよりも行儀をうるさく注意しながら、マナーを見せつけながら、応援してくれる。


だから「当人が覚悟してやり遂げられるように念じることが出来る人」はやっぱり信頼される。


それのお手伝いを、85歳という高齢まで続けているこの助産婦のおばぁさん、この言葉は染みる。
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