ねーさんとバンビーナの毎日

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ケチは人間の情を解するセンサーが欠けている?

2008年07月09日 00時17分50秒 | 考えるねーさん
「人間通」って本にそう書いてあるんだけど、「はて?」と思ってね。

本来はそうなんだとは思うよ。

だけど!
今の現代は、「「人間の情」を解するセンサーが無い人」がものすごく多いから、そもそも「「人間の情」を解するセンサーがある人」が「ケチにならざるおえなくなってる」んだと思うんですよねぇ。

だって、情を解するセンサーが無い人に情をかけたところで結果は分かるでしょ。心が傷つくの嫌ですもん!


「情」っていうのがさ~、今って「タダの同情」にスリ変わってるでしょう?
「タダの同情」って、その場限りでさ、相手を思いやってるようでいて単なる自分都合(考えたり感じたりするのが面倒臭い為の手段)のいい加減な感情でさ。
「情」っていうのとまるで違うからねぇ。

「タダの同情」は簡単なんだけど、「情をかける」のは難しいし根気がいるんだよね。


じょう【情】
[意]物事に感じる心の動き。他人を思いやる心。まごころ。異性を愛する心。あじわい。おもむき。

どうじょう【同情】
[意]その人と同じ気持ちになったつもりで思いやり、いたわる・こと(心)。



ほらね、「同情」って「なったつもり」になっていたわればいいだけだから簡単なのよ。
洞察力無い人が簡単にコロッと騙されてる。
単なる自分都合の同情だけの言葉に。


「情」は「自分がどう感じているか?」が主体で、「相手と同じ気持ちになったつもり」だけじゃダメなのよね。
そこの上で「ならばどういたわるか?」だから。


今「情」は希薄ですわぁ。

そして「情」ってものを厄介扱いするオトナも非常にたくさんいて、「「情」なんてどうでもいいから「同情」だけください。」って感じじゃない?
「それがケチだろう?」って感じで。


何度も言うけど、「情」がある人があえてケチになってる現状は結構あるかと思いますよ。
ホトホト傷つくのに嫌気がさしてね。

よ~く目を凝らしてくださいませ。
極端に言えば「単なる同情好きは単なるケチ」だぞ?本当だよ??


「ケチは人間の情を解するセンサーが欠けている」というのは、2008年の今では少し首を傾げたくなる現状であります。
言い換えれば「ケチは人間の同情を解するセンサーをあえて閉ざしている。」とも言えませんでしょうか。
だって何度も言うけど、「単なる同情好きは単なるケチ」だからさぁ。
「情」のある人はそれを解する時間がもったいなくて、あえて同情を解するセンサーを閉ざして、その余力を有効に使うわけよね。
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