ねーさんとバンビーナの毎日

「静」→ 「淡」→ 「戻」→ 「無」→「休」→「解・涛」→「涛・停」→「抜」→24年「歩」 最終章序章スタート!

○○精神だとかいうもの。

2009年06月26日 08時45分32秒 | 伝われねーさん
そんなことってホントにどーでもいいやね。


そんな精神があったところで「じゃぁ能動的に何かしようとするか?」ってまるで別だからさ~。


それより、


社のために何が出来るか?

とか、

国のために何が出来るか?

とか、


そういう風に考えてる、(ね)は。


いや、「~のため」なんて当てつけがましい恐れ多いことも考えてないか。

「自分が社長だったらどう考えるだろう。どうするだろう。」

とか、

「自分が政治家だったらどう考えるだろう。どうするだろう。」

とか、

そんな風に常に考えて想像してムフムフしてるところはある。これは子供の時から。


だから案外昔から大人の中でも時々核心を突いてしまって「見透かされてるかぁ?こっちが。参ったなー、ワハハハ」とか「毒があるなー、ワハハハー」と言われてしまうんだと思う。ワハハハ…



身近だと愛犬精神とかなるんだろうけど、ペットのオーナーになってもそんな小難しいことは考えたこともない。


ワンコのために何が出来るか?


って考えてるから、(ね)。


いや、「私がブリーダーになったとしたらばどうするだろう。はたまたそんな職業をやれるだろうか。」とか、

「散歩が嫌いな犬がいたとしたら定期的な散歩は虐待だよなぁ。何をもって愛犬家だかねぇ。」とか、

そんな風に考えて想像してムフムフしている。子供の頃から。



考えてる中に「何か」が見えたらやるから、「何か」が自分に見えない限りは何もやれない。


「やらない」じゃなくて「やれない」のだ。


人はこういうのを「やらないんだからー」と言いたがるけど、「何が出来るか?」と考えても「何」ってものが見えてこないから「やれない」ってだけ。


「○○の為に何が出来るか?」とか「自分があの立場ならどうするか?」とかは常に意識してる訳だからやる時はやるんです。(笑)



思い返せば、

「「やれない」じゃなくてとにかくやればいいの。理屈っぽいわねぇ。理屈っぽいのは嫌われるのよ。」

「いやこれは理屈とは違うでしょう?…ったく、混同しないでくれますぅ??わたしは「やらない」じゃなくて「やれない」ってだけの話よ?」

等と、母親からは口酸っぱく言われ続け、その度に反論ていたような気がする。(笑)


結論として言えることは、「自分にとってそれが御役目仕事と感じられないとやれない。」らしい、(ね)は。


「自分にあった仕事じゃなきゃやらない。」とかそんなワガママを言いたいんじゃなくて、「今の自分の御役目と感じられないとやれない。」ってこと。


で、話を最初に戻すと、

「○○精神」なんてどっちでもいいやね。


「自分が○○だったらどうするか。何が出来るか。」

を考えてるほうがよっぽど身体が動くしね。
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