ねーさんとバンビーナの毎日

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勉強が出来る子は…

2010年08月25日 18時56分26秒 | 観察屋ねーさん
その勉強が発揮できる土壌で活躍したほうがいい。


ただ社会のどんな組織もが「競争で成り立たせてる」訳ではない。
「見誤りなさんな?」と言いたい。
「競争」という言葉を利用しながら、「勝負」しているようなところはある。


いくら「社会はそうなんだから、競争基本じゃないのはおかしい。」と主張しようが、「うちは違いますからね?というところはあるのですぞ??」と言っておく。



で、ここで言いたい「勉強ができる」というのは、

「テストでいい点取る」

「どんな試験もパスする」

という感じのヤツね。



その「勉強」が発揮できる土壌ってのが、

「なんでも「競争」で勝敗を決める土壌」

かと思う。


決して同じ土俵に上がったり、同じリングに上がってやるような「勝負」ではない。


引かれた白線に並んだら、「よーいどん!」の競争だ。
知らぬうちに走り出してるみたいなこともあるだろう。
知らぬうちにゴールしたことにしてるようなこともあるだろう。



ちなみに学校ではゴールまでの白線がきちんと引かれていて、それを基準に一目散に走っていけばいいが、社会ではそんな白線は用意されていない。
社会でそんな白線を用意しようとするのも「ただの馬鹿」ってもんだ。


「そんな生温くないよ?
そんなこと仕出したら、洗脳とか操縦とか、そういうことをされるみたいになっちゃうよ?
「自分はどこに行った?」ってことになっちゃうよ?
ただ現実から逃げて妄想膨らませて「自由だ!」なんて言ってても、それ、まったく違うんだぞ?」

ってもんだ。


ちなみに車道や工場の中の白線のことを言ってるんじゃない。


「競争」っていうのはどんな手段もルールも出来て来る。
「勝つため」に始終頭の中で計算している生き残り手段とルール。
それを「守れ、守れ」と勝ちたい奴らが風紀委員のようにまくしたてる。
勉強ができても馬鹿なのかい。



はっきり確認したことはないが競争土壌では、

「それ(手段選ばず)はアリ」

なわけだ。


はっきり確認したことはないが競争土壌では、

「それが元のいざこざがしょっちゅう勃発してない?」

こうじゃん。



競争土壌に集う人らはそんなことを日々計算しながら、


「あの人よりは先に立つ」

「あの人は引きずり降ろす」

「あれは(あの人は)○利用(×活用)させていただく」

と日々計算している訳だ。



とにかく「勉強」が好きな訳だから、

「あの人より先に立つ」も、

「あの人を引きずり降ろす」も、

まるでひとつの楽しいゲームのように関われる様子だ。



「みんなそうでしょ?
社会で生きていくってそういうことでしょう?所詮。わかってないの~~。これだって楽しまなきゃ~。」

そう思い込んでるのだ。



それはそれで間違っちゃいないだろうと思う。


だけど「それを良し」と出来ない人は「かなりの数いる」ってこと。

キッチリ自覚してないだけで「かなりの数いる」ってこと。

「競争」と「勝負」を取り違えてる人がかなりの数いるってこと。

競争土壌にいても「勝負」してる人はかなりの数いるってこと。


競争土壌は「ウソ」も「利用」もしたたかに出来る人がニンマリとニマニマ出来る。

「正直」で「活用」してく人は「ニンマリニマニマ」より知らぬところで奥歯を食いしばりながらニコニコしている。



競争土壌ではないところに迷い込んだ勉強好きな○競争好き(×勝負好き)な人達。

土壌を荒らす前に少し深く考えていただけんかね。

もし勇気があるならば、潔く立ち去っていただけないかね。
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