自分が関わっている環境(仕事・仕事以外)で、「何か問題が出たり」「(結局誰かがやらねばならないのに)一人も見向きもしない(上手に逃げていく)」みたいな状況にぶつかることって必ずある。
ああいう状況が目の前で繰り広げられたりして、かつ、「こうすればいいだけのことじゃないさ」って、先の結果・やり方・段取りすらアリアリと見えてしまうことがあると、人知れず背負っちゃう(さっさかやっちゃう)タイプだったんだけど、これを簡単にはやらぬように気をつけた。
こういう状況って、そもそもその役回りの人が「やらない」とか「やれない」とか「気がつかない」とか「的外れすぎ!」みたいなことで発生することが多い。
これをその役回りの人に気がつかせる時間と労力が無駄(無理)っていう考え方があるのと、
(時間軸が数本、超高速で回っているような環境に長くいたのもあると思うのと、やはり問題が出るところまでいく「人」や「こと」は変わらない。シレッと知らず知らずに新たにやった方が得策。)
言い方ややり方ひとつでご当人の欠点を突くことに発展しかねないので、それも気分よろしくなくなるのがアリアリなので、「やれる人がやるのがいいよね、私やっちまいます」って感じでずーっときていた。
しかし今年はもう、また問題だらけの一年(人の問題、契約の問題)だったので、お願いされることをやるのはやぶさかでないのだけど、あえていちから「そもそもがおかしい、そもそもを修正して欲しい。」と伝える努力をした一年だった。
そうしとかないと矛盾も出るは、やってることの軸が通らないわ、それで上手くねじ込んで済んでしまうならスルーするけれど、蓋を開ければ「全てがやり直しばかり」でストレスがたまったもんじゃないので。(それをいいことに残業代を稼ぐ人もいて呆れる。こんな金は仕事が無くて困ってる人に回すべきだ!)
あっちにもこっちにも。
案外効き目はあって、話はキチンと通じて、自分の不満は7割解消されたけれど、やっぱり・・・
「人となり」はホント変わらないのでね。
人問題に関してどうしてもスルーできないことは自ら退くしかないのでそういう気分。
「スルーして対応し続けられるかな」と踏んでいたのだけど、どんなストレスがあっても「胃腸の不調は54年間皆無だったわたし」が激しい胃痛を体験するにいたった今年。(関わる度に胃痛になるようになってしまい、、、こんな体験初めて。)
こんな人に出くわしたのだから自分でも驚き。
ということで、「(やること見えちゃうから)背負っちゃう前に整理して伝える努力はした」という意味ある一年ではあったな。
(これはなんか過去の自分なのか先祖に「そうなさい、そういう時はきましたよ。」と伝わってきた感じだったな。)