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他人のふんどしを利用して得しちゃマズイし勝っちゃマズイ!

2009年02月25日 19時24分21秒 | 観察屋ねーさん
「他人のふんどしを利用する」というのは、その昔には「いい意味での知恵としての言葉」として使われていた。


何でも自分一人でやり遂げて成功したいと頑張ってる人に対して、

「他人のふんどしも上手に利用しなさいよ!」

という風に使われた訳だ。


だから数子さんの番組に岩城滉一つぁんが出た時に、

「あんた真面目すぎなのよ。話がツマラナイ!他人のふんどしを利用しなさいよ!」

と、ツッコミ攻撃を受けていた。


要するに、一人で何もかもやろうとするから、人生経験が長い年長のオバサンにこうやってツッコミ攻撃を受けるわけだね。

「自分が壊れちゃうよ?他人にも背負ってもらいなさいよ?」っていう愛情の裏返しじゃん?

「人に背負わせた時、初めて自分の器が試されるんだよ?人のありがたさがわかるんだよ?それやってきてないから話が奥行きがなくてツマラナイんだよ。」っていう叱咤激励じゃん?

「仲間も何もかも自分でなんとかしてやろう」みたいな格好つけたアニキ風吹かすからツッコミを受ける。

だけど、こういうツッコミを受ける人は真面目で信頼できるんだよね、案外。



ところがどっこい最近は。


「他人のふんどしを利用する」というのが、

「他人を利用して得をする」とか、

「他人を利用して楽をする」とか、

「他人を利用して勝ってしまう」とか、

そういう風に置き換わっちゃっててさ。


「他人にも頭を下げて背負ってもらう」じゃなくてさ、

「他人がすでに持っている特権(スキルだったりお金だったり物だったり時間だったり)の利用しあいっこ」

になってるんだよねぇ。


貧しいんだよなぁ、その行為がさぁ。
貧乏くさいんだよぅ、その行為がさぁ。


ありがたみは「金」か「物」か「甘やかしてくれるか」でしかはかれなくなっちゃってるから、行儀がなんにもなってない。
マナーだけ洗練させて他人の目をごまかして、ルールで縛りあって勝ちを取り合うおぞましさ。


見抜く人はキ~~~ッチリ見抜くから、「時にシメられ逆ギレ」という、なんとも子供じみた行為を当てつけたりしている。


親切心で言うけれど、そういう利用をやってるとね、「先細り→共倒れ」をたどるんだよぅ。


「自分で生き抜く」「自分で勝つ」のレベルで初めて「他人のふんどしを利用する」を語れる訳なんだよね。


他人のふんどしを利用したいのだけれど、なかなかそういう人がいないんだよねぇ、超激減。
物をくれたり、金をくれたり、甘やかしはさせてくれる人はいてもね。


勝ち負けなんだねぇ、意識がそこなんだよなぁ。
成功か失敗の意識じゃないんだよ。


ほんまに淋しくて貧しい世の中だよ、トホホホホ。(笑)
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