ねーさんとバンビーナの毎日

「静」→ 「淡」→ 「戻」→ 「無」→「休」→「解・涛」→「涛・停」→「抜」→24年「歩」 最終章序章スタート!

私って(仕事においては)誰かの意志を背負わされる運命かなぁ、、、、

2018年02月14日 23時47分56秒 | 考えるねーさん
一番最初に就職した会社はその業種の会社に勤めていたオジの影響も多少ある。

オジは天性の良い性格というか人を惹きつける魅力のあるオジだった。

いつも盆や暮れに静岡に帰省してくる時は、

「今から寄るから!何か適当に食わせて!あとすぐ寝かせて!!」といきなり(しかも夜中到着とか。)で、おまけに常に誰かしら仲間数人を同伴してのドカドカドヤドヤした帰省だった。

外見も少々不良っぽくてカッコよく、唄も上手で、クルマが大好き(スピード狂)、実は芸能事務所にスカウトされたことがあった。(断ったが。親族の反対というか「やったところで所詮しょーんないよ。(欲無し)」的なアッケラカンもあったり。)

そのオジも仕事に精を出して頑張っていてヨーロッパに海外視察にまで行かせてもらったりして波に乗っていたんだが、若くして急死(くも膜下出血)。私が高校2年生くらいの時だった。
その時の祖母の落胆ぶりは見るに忍びなく、高校2年の私にはかなり強烈な思いを抱かされたもんだった。


数年後、私が就職という時期を迎え、銀行なぞと固い職業を受けたものの(父方の親族の影響というか体裁的にこういう固いところ(オトナになってからは銀行も〇〇〇となんら体質変わらないということを知り、、、(笑))を選んでおかないとなんやかんや親・親戚に言われるなぁ、、、と思ったりして選んだっていう、、、)みごとに落ち、

落胆というより「ここまでやってダメだから好きにさせてね!」っていう親の諦めを促すことにもつながるので(コラコラ)、「ちょっとラッキーかも(テヘヘヘヘ)」なんて思ったりしつつ、

「どこかこう「あ、これいいかも!」みたいなところないかなーー」と思っていたら、オジと同じ業種の会社を見つけた次第。

就職が決まって働き出してから、「あぁ亡くなったオジも同じ業種で頑張ってたなぁ、、、私も頑張るだけ頑張ろう。」って気が付いたのでした。

頑張るだけ頑張ったら、まぁ、単に平社員だけでいては体験できない経験の場に持ち上げられ(うーむ)、まぁこの時の時間の流れの速さ(改革劇の速さ)の凄まじさったらなかったんだけども、それを経験して退散。1994年。


1か月も経つか経たないかで次の会社に就職。

ここの会社でもまぁ重宝はされ、それまでの経験とは別次元(別時間軸)のイロイロな経験をさせていただき、

偶然なのか必然なのか、前の会社でお世話になった取引先の人との再会があったり(覚えていてくれたのがうれしかったなぁ、そして「あの時はありがとうね。すごいお世話になっちゃって。色々教えてもらったりして。」って感謝までしてくれて。全然年上の方なのに。)、

超大変なんだけどかなり楽しんでいたところ、退散した会社の同僚がまさかの急死。あれは2000年の頃。


まぁ海外勤務(海外開拓営業)で相当な激務だったので、過労死だとは思うが、表向きは「持病の悪化」っていうあたりのところで話はおさまっているんだとは思う。(持病なんかなかったと思うよ。)

あの一件はもう私の中には怒りの炎が燃え上がり、

「ほら見たことかぁ!!!!馬鹿がーーーーーぁぁぁっ!!!」

っていう経営陣への怒りの気持ち一点。


世間はああいう手の改革劇を「何やらすげぇ」って持ち上げる空気がパンっパンで(アホくさ)、

私はじめ、その手を「いかがなものか」っていう側面じゃなくて、「そんなことして何になるの?(呆)こうして世間の為になることして楽しくやっていこうよ。」っていう仲間達(社長始め)があの時点で集まっていたのがラッキー(これも運がよかった)で、

その後は楽しいだけじゃなく、やはりこの会社でも組織改革なるものの厳しさを知ったり、本来の事業が下降線をたどる中の別事業の立ち上げやら、人員整理の辛さを知ったり、気苦労続きといえば続きだったんだけれども、その苦労すらも、前職の同僚がどこか上のほうで、

「オレが「ああいうことやったらこうなるよ」っていう人身御供になったから、何か良い方向への気づきになるような、何か実績を残していって!
そうしておかないとオレの気持ちは晴れないよ。」

って見ているような気がして、いや、そうしなきゃいられない気持ちしかなくて、頑張った。
ギリギリなところまで会社は営業を続け、震災があった後に解散となった。2011年。


あれから今年で7年が経つけれど、私は「絶対にやらないぞ。(「やれない(醒めちゃって、飽きちゃって)」という表現のほうがあってるかも)」と学生時代に決めていた派遣社員(職種はいろいろ)で大半を繋いでいる。

(一時、過去長年お世話になった(共同開発したりして苦労した仲)会社に声をかけていただき(来てほしいくらい言われ)、正社員で入れてもらったが、新社長(本当に世話になった社長(心は熱く手は綺麗の系の方)はすでに定年退職)とま~ったく折が合わず(笑)、話し合い(にならない(笑))の後に辞職。
(友人知人親族にも相談したところ「それは自ら退いておいたほうがいい。いっしょにやっても時間の無駄。(狂ってるから関わるな。)」との人生の先輩らの助言にウソを感じず。))


これもまぁここまで来ている世の中のウォッチングにもなっているのと、とにかく日々の時間が平たんに戻る時間が訪れたので、これも心身の為にはラッキーな時間を貰ったような気分っちゃぁ気分。
確かに緊張の連続からは解放された7年を過ごせているから、楽ったら楽!!(つまらないったらつまらない。(苦笑))


そしてそうこうしていたら昨年春に戦友ともいえるような社長が突如亡くなった。
亡くなった背景がどうであれ、泣けたわぁ、、、。(同僚の時とは別の涙だったなぁ。)

私はこの方の人柄を信頼できる理由が、私のこの「(普通の人だと)わかりづらく手ごわい部分」をよく見抜いていて、知らず知らずわかっていて信頼して(面白がって)手のひらで泳がせてくれたからだ。
私がそう実感できる場面場面が映像で言葉で蘇ってきて、まぁ、ほんと、泣けたよなぁ、、、


この社長が「次の扉を開けるキッカケを絶対持ってくる」と信じて疑わない部分もあったので、亡くなったことがいまだに悔やまれるけれど、この社長(ほか仲間達)が残した爪痕は活きていると思っているし、あの経験を積ませてもらった人達はそれぞれの場所で活躍できると信じているし、キッカケがくるまでみんな爪を研いでいるだろう。


あの社長の意志は誰が背負うんだろう・・・。
仲間は揃っている。








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